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自己免疫疾患(指定難病)とともに生きる (6) - JANGAN MALU-MALU! Living with an Autoimmune Disease

【私の原点 (2)】

 昔話のついでに、今の私を作っている原点といえるエピソードをもう一つ紹介したい。
 沢木耕太郎の『深夜特急』に憧れて、沢木耕太郎が旅に出た26歳を意識しながら、私も26歳での転職を決意、次の仕事を始めるまでの数か月を、バックパッカーとして、ネパールやインドを中心に、東南アジアから南アジアを旅したときの体験である。
 この体験から私が気づいたのは、自分が人生で一番大切にしている価値、それは人と人とのつながりである、ということであった。『深夜特急』に憧れて漠然と旅に出たいと感じた自分を突き動かしたのは、まだ見ぬ土地へ行きたいとか、新しいことを体験したいとかいう以上に、人と出会いたい、人とつながりたい、という思いが格段に大きい、というこをと強烈に自覚した。それからの私は、常に、人との出会い、人とのつながりを大切にしながら生きてきた。自分の人生の目的と言っても過言ではない。

【Millennium Midnight Express】

※ 以下の文章は、今から24年前の2000年2〜3月に当時27歳の私が書いたものから抜粋し、なるべく当時の原文に忠実に、わずかな修正を加えたものである。


 ヴァーラーナシーの街は非常に刺激的な所なのですが、そんな街をぶらぶらと一人歩きながら、時々なんだかさびしさを感じたりもしていました。それまでのところ、ネパールでもインドでも、会う人々は大体良い人が多く、ほとんどいやな目にも会っていなくて、気に入っている、と思っていました。でも、インドのことを「大好き」というほどでもないなあ、と思っていました。それはどうしてだろう、と考えてみると、やっぱりそれは「人」なのかな、と思いました。つまり、例えば僕の場合、タイ、ブータン、シンガポール、韓国と言うと、それと同時に具体的な友人の顔が思いうかんで、その人たちに会いに行きたい、という気持ちになる訳です。インドには、まだそういう「人」との出会いがないんだな、と思いました。僕にとってインドはそういう所になるだろうか。ヴァーラーナシーの街をぶらぶらしながら、そんなことを考えていました。
 ところが、それからわずか2〜3日後に、デリーの街でその答は「YES!」となったのです。
 事の発端は、ネパール・ルンビニの韓国寺までさかのぼります。そこで多くの韓国人と宿泊しながら楽しいひとときを過ごしたとき、その中の一人が、自分の韓国人のフィアンセがデリーでやっている、日本の某旅行ガイドブックにも載っている旅行代理店CLUB-INDIAを紹介してくれたのです。これはその人に会いに行かなければ、と思い、デリーに着いたら早速顔を出しに行ったのです。あいにくその目当ての韓国人はちょうど韓国に帰国中とのことで、Rajaというインド人が対応してくれました。
 僕が初めてCLUB-INDIAへ行ったとき、Rajaは僕のことを韓国人だと思ったらしく、なんと韓国語で、「アンニョンハセヨ、オソオセヨ、ヨギアンジュセヨ(いらっしゃい、こちらへおかけください)」と案内されたのです。反射的に僕の口から出てきたのは、「カムサエヨ、ハジマン、チョヌンハングクサラムアニエヨ、イルボンサラミエヨ(ありがとう、僕は韓国人ではなく日本人です)」という韓国語でした。相手は、え、まさか、うそでしょ、という感じで信じてくれません。ようやく本当に僕が日本人だと分かると、へー、それでお前は韓国語が話せるのか、チェミイッソ(面白い)、ととてもよろこんでくれ、一気に親しくなりました。インド人と韓国語で話して親しくなるなんて、ノムノムチェミイッソヨ(とても面白い)。
 Rajaに、どうやって韓国語を覚えたのか、と聞けば、韓国とビジネスをしようと、韓国に2回、4か月程滞在しただけで、特に勉強はしていない、とのことでした。その割には、とってもきれいな韓国語です。そんな彼を信用して、CLUB-INDIAには毎日多くの韓国人がやって来ます。そんな環境の中で、CLUB-INDIAにいるインド人も皆、多かれ少なかれ韓国語をあやつっています。「やっぱりインド人はことばの天才!」という実例をここでも見ました。
 すっかり仲良くなったRajaと僕たち2人の会話は、何語で話そう、と特に意識せずに、韓国語と英語をベースに、ウルドゥー語と日本語も自然に混ざったちゃんぽんの会話となりました。ウルドゥー語を母語とするRajaと、日本語を母語とする僕が、韓国語で人間関係を築く、それは何か不思議な感じもしますが、お互いの関係性の上に成立する「ことば」はどちらかの母語であるという必要もなく、「ことば」はまさにお互いの関係性そのものなのだ、と改めて認識しました。
 いずれにしても、そんな出会いのあったCLUB-INDIAに僕は毎日のように顔を出すようになりました。何をするという訳でもなく、人に会い、チャイを飲みながら話をする。そんなことが、ノムチェミイッソヨ(とても面白い)。一人で街をぶらぶらするのも楽しいけれど、でもやっぱり人と出会うことの方がずっと楽しいと自分は感じているんだな、と思いました。何日もデリーにいて、観光名所を全然まわらなくても、それ以上に楽しいことがあるのです。きっとそんな彼らに会いにまたデリーに来たい、と思うようになるんだろう、と思います。
 やっぱり人間、国なんか関係なく、親しい人間関係を築くことができれば何も違うことなんかないんだ、ということを感じました。


(つづく)

(カバー画像:インド・デリーのイメージ)

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