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短編小説「国境線上の蟻」#11

  足下には蟻が歩いていた。連なる粒の群れの先には息絶えた死骸が見てとれた。鳥か犬か猫か、或いはそれ以外か。なんだっていい。
 君はそう思う。何であっても、どのように生きても、その果ては同じだ。
「生まれ育ちを思えば、私はずいぶん長く生きた。何処かの誰かの血を吸い続けてきたからだろう。善も悪も、割り振ってしまえばそれほど差はない」
 小さな黒い粒はそのひとつひとつが足を持ち、動き、群れとして連動している。役割があるだけだ。感情はない。
「昔……そう、ずいぶん昔だ。お前が生まれる前のことだ。この国は資源のない小さな島国だったが、美しく、人々が心を持つ国だった」
 既に絶えた生き物に覆い被さる蟻たちは黒く変色した血にまみれている。その行進は止むことがない。噛み千切り、砕き、破片となった肉が運ばれてゆく。
「子が親を、或いはその逆も……売買の道具にし、食い散らかすにまで成った。人は単なる動物だ、その原理に戻りゆく過程に過ぎないのが今だ」
「昔話はいい」
 何もかも過ぎるだけだ。君はそれを知っている。もちろん、彼も知っている。
「悪くはなかったはずだった、だが、振り返ると悪い夢を見せられ、運び続けられた死骸のように思える」
 個体を遥かに越える巨大な肉塊も、やがては残らず消えてゆくだろう。蟻たちはそれに費やす時間や労力など考えたりはしない。それは理である。
 君は弾き鉄に指をかける。震えもなく揺らぎもなかった。完全な空白として君はいる。
 蟻たちが命を漁り終えることを見届けることはない。
 夜は明けた。
 君とかつての君に似たもう一人の間には静謐だけがある。終わりを待ち、探し続けた果ての景色はわずか先に国境がある。
 そして君たちは境界の線上に存在する儚い魂に過ぎない。もう思い出すことはない。思うこともない。
「終わりだ。望みどおり、お前を完全に消滅させてやる」
 一歩。二歩。経過する時間。
 君は歩み寄り、かつての君の額に銃口を向けた。
 どこからか吹鳴が届いた。サイレンも聞こえる。停止していた時間は再び刻み始め、太陽が再生する。
 横たわる君はアスファルトの感触を背中に感じていた。
 眼を閉じる。口笛を鳴らそうとして肺が爆ぜる。痙攣が止まらなかった。
 君は歌おうとする。だが、誰にも歌には聞こえないだろう。赤い泡が弾け、胸が上下する。
 傍らには年老いた君が眠っている。完全にして永遠の眠りだ。ふと眼を開けた。
 君の真上、青みのなかに飛んでゆく鳥の姿が映った。
 それはいつか見たときのように美しい光景だった。


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