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短編小説「国旗線上の蟻」#12



 君が放った銃弾によって、ワン・イーゼンは絶命した。小口径のピストルだった、至近距離からの頭部への狙撃以外に方法はなかった。そもそもがそのつもりだった。君はそのタイミングだけを狙っていたのだ。
 額から後頭部へと貫通した弾はアスファルトに跳ね、弧を描いて水面へと消えた。そしてそこには一人の男の死だけが残されていた。
 戦争の仕掛け人として、武器商人として暗躍した男はその生涯の凄絶さに比べ、呆気なく感じるほどに無抵抗だった。
 表情こそ変えなかったが、その最期は微かに安堵を見せたような、そんな気がした。
 日本人の子供として生まれ、中国の侵略者に故郷と家族を殺され、台湾にて暗躍者として育った。名前は数知れず多く、だが、誰にも必要とされず、誰も必要としなかった。
 君は思う。
「どこかの誰かとまるで同じだ」と。
 君は真下に横たわる父の亡骸を眺めるでもなく眺めていた。血の匂いに気づいたか、蟻たちが列を作りつつある、そして、上空にはカラス数羽が旋回していた。死の瞬間、生命は生命に還元される。それは野生のルールであり、本来は世界の理だったはずだ。
 君は短い季節をここで終えることにする。おそらく、彼が此処で終わることは決まっていたことだ。
 君はそう決めていた。孤独な命は誰かの傍らで果てはしない。場所を探していただけだ、最終地点はずっと前から決まっていたのだ。
「誰もいない。誰も知らない。独りでどこかへゆき、そこで終える」
 そう話した夜のことがふとよぎる。
 目覚めた瞬間、始まる悪夢はこの最果てにて完了する。もう何も見ない、何も聞かない。
 自由だ。君は思う。
 水平から銃声が届いた。ワン・イーゼンを迎えにきたクルーザーだろう、確かに約束どおりの時間だった、彼は渡航するつもりだったのだろうか。分からない、だが、彼の跡はやはり血が流れる抗争によって束の間の秩序がもたらされるのだろう。
 君は一発だけを残したピストルをこめかみに構える。タバコに火をつける。深く呼吸し、弾き鉄に指をかけた。
 透明になってゆく。そんなふうに思えた。眼を閉じ、耳を閉じ、感覚を遮断する。
 遠くから鳥の泣き声が聞こえた気がした。幻聴かもしれない、確かに歌っていたのかもしれない。その歌はどこかで聴いたことのある旋律だった。
 君は口笛を吹く。
 クルーザーを追う警笛と制止を促す破れた音声に歌と口笛は掻き消される。
 それでも鳴らす口笛は、懐かしい故郷の子守唄だった。
 歌い終えるのを待たず、君は弾き鉄を引く。
 静謐を嫌う国境で、君は独り永遠の静寂を手に入れた。
 青みのなか、黒く汚れた羽根が散った。その光景を見ているのも蟻だった。
 国境線がどこにあるのか、明確な解答は用意できないだろう。それでもそれは存在するのだ。そこでは、人ではなく、それを見上げる蟻たちが線上を行き来するのだ。笑っているのは人ではない。
 蟻たちだ。

つづく。
photograph and words by billy.



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