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コメディ小説「ゾンビ少年高橋くん。」#2



 不審者が徘徊している。そんな目撃情報が相次いだ。この町では珍しい。珍しいというより、経験にない。着任以来初めてのことだった。某ペンギン村よりも平和だと町民が笑っていた。この町に移動が決まったとき、かつてのライバルだった同僚たちは言った。左遷か。島流しだね、と。ずいぶん酷い宣告ではあったが、それが大げさでないことは初日にわかった。事件、事故以前に、人がいない。慌てて資料に目を通し、住民数を調べたことをよく覚えていた。その上をのんびりととんびが飛んでゆくのを見かけた。欠伸をしている猫がいた。牛は無駄に「もー」と唸った。
 事件らしい事件とは無縁だった。だからこそ、経験のない通報に、緊張と興奮が入り混じるのだ。
 まさかとは思いながら、ホルダーのなかに眠ったままの拳銃に触れる。冷たい感触。握ると、その重さを思い出す。この一年というもの、その拳銃のメンテナンスは暇つぶしになっていた。額に浮かぶ汗。それを手のひらに拭う。緊張しているのだろうか。そんなことはないはずだ。僕は、ここに来るまで、幾度となく、危険な任務に赴いてきた。ひと気のない、田舎の不審者情報くらい、それがどうしたと言うんだ。
 青年巡査は握りしめた拳銃が跳ね返している、小さな光を睨んでいた。

「暑……。ゾンビも暑さに弱いんだな……」
 高橋くんは独り言をこぼしながら、とぼとぼと町道を歩いていた。筋力、関節、骨。すべてが腐敗の最中である。絶賛、腐敗中の高橋くんボディは昨日よりもコンディションが悪い。
「やばいな。体が傷んできてるのかも」
 すでに生命として活動を終えたゾンビである。当然として代謝がない。この時期、やはり恐れるべきは腐敗と寄生虫だ。民家の日陰で休んでいる犬は、舌を出して荒い息づかいを繰り返していた。高橋くんもそれを真似る。口の中にハエが侵入して、そして、口内に溶けた。それはとても苦くて、高橋くんは咳き込み、それを吐き出した。
「おええええ!」
 もう。気持ち悪いな。ハエにたかられるなんて。今日もやっぱり不運だ。それにしても、ゾンビに好運、不運があるのだろうか。大安吉日とか友引とかあるのだろうか。友引。ゾンビの。むしろ、いつも仏滅なのかもしれない。仏教の国のゾンビって、どんな扱いを受けるのだろう。
 疲れと不運。そこにくわわる夏の暑さ。混乱気味の意識にさらなる混乱が混じる。いまや高橋くんの脳内は混沌だ。腐敗と混乱が混じり合って、冷静さを欠いている。
 しかし、ゾンビとしての意識がまだ希薄な高橋くんは、自らの身体に危機が迫っていることに気づいてはいなかった。

「なんだよあれ。小汚い子供じゃないか」
 ひさかたぶりの事件かと思えば、身なりの悪い子供が歩いているだけである。その足取りはふらつき、心許ない。行き先があるのかないのか、頼りなげな爪先は着地のたびに左右を捻る。
 安堵しつつ、同時にがっかりもあった。どちらだろう。不審者の通報に拳銃を握り、かいた冷や汗はなんだったのか。束の間の緊張も解ける。その途端、真夏の熱気にため息がこぼれた。
 やはり平和だ。退屈なほど問題がない。うろついている子供が不審者扱いされるほどだ。適当に職務質問だけしておこう。巡査はそう考えた。厄介事はさっさと終えて、冷えたビールでも飲もう。
「君、ちょっといいかな」
 そう声をかけて、元不審者の少年のそばへ寄った。いくつくらいだろう。十歳くらいだろうか。それにしても身なりの悪い子だな。そう考えた瞬間、彼は強烈な腐敗臭に襲われたのであった。
「くさっ!」
 思わず叫んでしまった。よく見れば、ろくに洗われてもいないらしい髪はもつれて束になり、そこに泥や埃がへばりついている。それに、何ヶ月、着替えていないのだろう。着ている衣服は着色汚れが進み、あちらこちらが破れていた。そこから覗く地肌もやはり、通常の肌の色ではない。皮脂が重なり層になり、黒く濁っていた。
 なんだこの少年は、どんな生活をしているんだ?
「あ、おまわりさん」
 振り返った高橋くんは巡査を見上げた。そんなに臭いのかな、と言いつつ、Tシャツの胸元をつまんでにおいを嗅ぐ。
「って、いやいや。お巡りさんが一般市民にそんなこと言っちゃダメだよ」
 自分が屍であることを忘れ、高橋くんは巡査さんに注意をした。

つづく。
artwork and words by billy.


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