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【写真】will come soon,#slowlight


#slowlight
#今日も見慣れない景色を探して

早朝の高知龍馬空港。


 子供のころ。

 野球好きが高じて、BS放送のアメリカのメジャーリーグをよく見ていた。メジャーリーガーはナイキを履いていて、それもかっこよかった。
 アメリカの球場はすかんと空に繋がるくらい広かった。
 そのころ、僕は引きこもりがちな、不登校の少年で、平日午前のメジャーリーグ中継にかじりついていたのだ。
 アメリカのスポーツは、メジャーリーグは、そのまんま、世界だった。小さく閉じられた部屋に繋がっている、遥か遠いアメリカで野球をやっていた。野球とベースボールは別の競技だと言う人もいる。そうだろうか。
 僕には、どちらも、英雄たちが繰り広げる夢の舞台にしか見えなかった。


夜須の可動橋。


 いま思えば、本当にどこに行っても、集団行動ができなかった。いまもできない。いまは、するつもりもない。

 超獣ギガ(仮)。
 それなんです。来週やるから待っててくださいませ。途中まで書いてて、(note外の)あれこれも書いてるんですけど、ほら、野球が始まったでしょう。急に忙しくなってしまって。
 たぶん、しばらくは、野球のことを考えてるから。待っててください。未読の方はいまのうちに読んでてくださいませ。
 野球があるから忙しくて。関係者みたいな言い方ですね()


愛する吉川海岸。


 学生のころ、西村良太という友達がいた。

 一年の終わり頃になると、良太は寮を離れ、ラーメン屋でアルバイトをしながら、その二階に寝泊まりしていた。僕たちはその店に何度も遊びに行った。店での良太は、アニエスb(だったはず)の白シャツ、黒パンツという装いなのに(まるでバーテンのようだった)、学校には、デニジャケ、デニムの農夫のような装いで現れた。一月の寒空の下、Tシャツの上にデニジャケだけで現れるのだ。
「バイト先と学校と、逆なんちゃうの」
 皆が口を揃えた。しかし、良太は気にしなかった。
「いくらなんでも寒いだろう」
 と、ヒロアキが言った。そして、
「月刊薄着という雑誌が創刊されたら、その創刊号の表紙になれる」と笑っていた。
 しかし、そのヒロアキはヒロアキで、素足にレザーのブーツだった。足が痛いと繰り返し主張した。後にそのことを話すと、
「え、俺、そんな、屯田兵みたいだっけ?」と笑っていた。
 良太はとんでもないやつだった。しかし、それをただしているつもりのヒロアキ・コマツも、やっぱり、とんでもないやつだったのだ。 
 授業には農夫的デニムで現れ、ラーメン屋には白シャツ、黒パンツでエプロンなしの良太。革ジャン革パン、素足にブーツのヒロアキ。そこにドレッドヘアの青年が二人も加わるのである。
 ちなみにそのころ。
 僕は、良太が欲しがっていた、ファーのコートを譲った覚えがある。入学前、面接やテストのときに来ていた、「どこのキャバ嬢のヒモなん?」と勘違いされた、黒のファーのコートだった。
 僕は僕で、「なんかすごい新入生おるやん」と言われていたことを知らなかったのだ。その頃の僕は、服飾の専門学校生でもあるまいに、コムデギャルソンの大好きな、通年、 #ブラコ の、死神のような青年だったのだ。


日吉神社付近の川岸から。

 歩いていた高校生たちの話す声が聞こえた。
「昨日観た?」
「野球?」
「そう! 勝った」
「大谷すごかったー。160キロて」
 ワクワクドキドキの季節は続く。限界や常識って誰が決めるのだろう。
 160キロを投げるピッチャーが、ホームラン王を狙えるくらい打ち、MVPになったのだ。しかも、メジャーリーグで。
 その、常識外の青年は、なんと、日本人なのだ。
 大谷翔平選手を見ていると、孫悟空を思い出す。ドラゴンボールの、孫悟空だ。悟空は、誰よりも武道を愛し、大切な人を守るために限界を超えて強くなった。そして、どんな敵が現れても、師の教えのなかでしか戦わなかった。
 野球以外のことに興味がないのではないかと思うほど、ストイックに道を極めようと、そして、かつての師であった栗山監督の召集に応じて、投手として、打者として、日本代表チームの主力になった。
 快進撃は続くだろう。大谷翔平の限界は、大谷翔平自身にしかわからない。
 さあ、今日も、野球がある。

photograph and words by billy.

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