【雑記】チンドン屋って見たことある?
生まれ育った地域や、あるいは年齢によって体験は大きく違うものだと思います。みなさんは「チンドン屋」をご覧になったことがありますか? 白塗りのメイクで、蓬髪、着物を着崩して、ラッパやタイコを鳴らして、剽軽なのか、あるいは恐ろしい集団なのか。
関西で昭和末期かそれより以前、平成初期を育った人なら、きっとどこかで見たことがあると思います。ひと気のある週末の商店街なら、たびたび現れた珍奇な行列、チンドン屋。幼い僕は、その行列をなにせ恐ろしく感じて、祖父母が営む商店の奥から、こっそりとガラス越しにそれを眺めたことがあります。いくつくらいだろう。小学生になったくらいでしょうか。
関西って、吉本新喜劇に代表されるように、それなりには癖の強い、独自性のある文化なんですね。ローカル放送の番組がとても多いし、夕方のニュースですら、吉本の芸人さんと阪神タイガースのOBが必ず出てくる、くらいには。そういう、お笑いと元野球選手が全国区のニュースにコメントしてるわけです。当時は不思議に思わなかったけれど、関西圏を離れたいまになると、なかなか珍妙な光景に思える。門外漢が専門家のように話している。それも、関西圏でしか見ないだろう芸人さんと、決して、関西圏でしか知られていないだろう阪神タイガースの元選手だったりするんです。
……近年は。元阪神タイガースの鳥谷敬さんが関西圏でタレントのようになっていると聞きました。鳥谷さんクラスの選手なら、野球やプロスポーツに興味がない人でも、名前くらいは知っているのでは。鉄壁のショート。通算2000本安打を記録したイケメン。鳥谷さんって、関西人には特別なんです。生粋の東京人。早稲田大学を卒業したエリートが、どういうわけが、巨人やヤクルトや西武などの関東のチームではなく、ご自身の意思で、関西の阪神タイガースに入団してくれるという(この頃は、「自由獲得枠」という、くじをスルーして欲しい選手を獲得できる制度があったんです)。
しょせんは関西。田舎者の集まり。そう卑下する他なかった関西人なのに、都会のエリートがやってくるという意外性。よりによって、その年のナンバーワンのプレイヤー。ポジションは花形であるショート。しかもイケメン。誰もが沸き立っていたことを憶えています。やがて、その東京の青年が関西のチームで大活躍する。表情を変えずに、あくまでクールに。その姿は関西人の劣等感を駆逐するわけです。鳥谷敬は、阪神タイガースの鳥谷敬は、僕たちの大スターだった。いつも誰よりも最高にかっこいい、背番号1だった。
どんなにチームが低迷しても。それでも。
「でもさ。俺たちには(私たちには)鳥谷敬がおるやんか」
情けなくてだらしない、凡庸な自分たち。それを「明日は勝てる」と言わんばかりに、淡々とプレイする鳥谷敬。鳥谷敬は自分たちの誇りを代表してくれるような、そんな存在だった。だからこそ、僕たちは鳥谷敬が大好きなのだ。どうしようも情けない自分たちでも、鳥谷敬を応援しているときは、まるで背中に羽根が生えているような気だってした。それくらい、鳥谷敬はかっこ良かった。
いま思えば、鳥谷敬の時代に2度か3度は優勝したかった。偉大な鳥谷敬を、偉大なキャプテンの胴上げを見ていない。鳥谷の時代に優勝せず、いつ優勝するって言うんだよ阪神タイガース。
晩年は千葉ロッテ・マリーンズに移籍されましたが、現役を引退された現在、関西圏で野球解説者、タレントとして活躍されていると聞きます(僕はいま関西圏に住んでいないので、よくわかりません)。
ともあれ、それくらいに独自性のある文化圏なんです。人口が多いし、「関西」ということに、多くの人は誇りもあるのでしょう。
話が逸れました。
なんでしたっけ。そう、チンドン屋。関西に育った子供なら、きっと「チンドン屋に連れてゆくぞ」と言う呪いの言葉を、人生へのダメ出しを聞いたことが、あるいは言われたことがあるんじゃないでしょうか。
僕は決して、成績の悪い子供ではなかった。どちらかと問うこともなく、はっきりと成績の良いほうの子供でした。でも、授業中はいつも、うわの空。ぼんやりと空想に浸るだけ。なのに、テストになると他の子供をぶっちぎることができた。なぜ、そうできたのかはわからない。塾にも行かなかったし、家庭教師もいなかった。宿題をやっているだけだった。絵や作文でもコンクールに入っていたし、足も早かった。しかし、何も努力せずにそれが出来るせいか、何もしない子供でもあった。
そして、協調性がなく、学校行事には参加せず、年に3か月は不登校の期間をつくった。なので、やはり、できの悪い子供に分類されてもいた。
「チンドン屋に行かせる」というのは、出来の悪い子供に言う呪い。口の悪い先生や、あるいは上級生が言うこと。僕は先生にも上級生にも言われなかった(のちに窃盗で捕まるような、ろくでもない上級生たちは、いつも僕を野球に誘ってくれた。試合になるとホームランを打つ謎のひょろガリだったから)。
しかし、僕はチンドン屋を恐れていた。成績やスポーツではない、自分の不出来さなんて、幼稚園のときから自覚していたから。いつか、誰かに「チンドン屋に行かせるぞ」と言われると思っていたのだ。
チンドン屋。謎の白塗り集団。ラッパやタイコを鳴らしてチラシを配ったり、真っ赤に塗った唇を歪めて笑顔を見せる、ホラー集団。
祖父母の営む商店から、その動向を眺めていたことがある。膝を震わせながら、ガラス越しにそれを眺めていたのだ。
実際にどうなのか知らない。知らないが、「チンドン屋に行かせる」という殺文句があるくらいだ、それが社会的最下層に位置するものであるという、暗黙の了解はあったはずだ。僕たちはチンドン屋ではなく、社会的最下層を恐れていた。そこは奈落のようなもの。落ちればもう戻っては来られない、と。
俺たちは鳥谷敬にはなれない。生まれたときからわかっていた。だからこそ、そのチンドン屋が怖かった。
時代は移り、いまはチンドン屋があるのかどうかも知らない。いま、チンドン屋があるなら、チラシではなく、お惣菜が安く買えるスマートフォンのアプリでも教えてくれるのだろうか。
いま、サーカス団を題材にした短編小説を書いているのですが、僕はサーカスと大道芸と、今回のチンドン屋がごちゃ混ぜになってしまうんです。どれも子供のときに見た。そして、どれもが白塗りで、ラッパだとかアコーディオンを弾いていた。華麗ではなかった。美しいとも思わなかった。見せ物に徹する恐ろしさがあった。
きっと、見せ物になることが怖かったのだと思う。僕はお調子者で、ふざけることが大好きな子供だったが、笑い者になることがなによりも嫌いだった。鳥谷敬のようにはなれないが、いつもクールにかっこつけていたかった。
きっと、だからこそ、笑われる立場であるチンドン屋を恐れたのだ。
photograph and words by billy.
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