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作品が成功する秘訣は、イニシアティブを持つこと

 birdfilm映像作家の増田です。
これはあくまで私の経験からのお話です。
 すべての方々に通用することではないかもしれませんので悪しからず。

 映像制作に携わって43年。数えきれないほどのテレビ番組やVP、ミュージックビデオ、CM、など、いわゆる商業映像を主にディレクター(監督)として作ってきました。
 中でも一番多いのはテレビ番組。ローカル放送局(準キー局)に制作部員として10年、以降、フリーランスやbirdfilmの代表として今日まで、歌番組、ドキュメンタリー、生情報番組、バラエティー、連続ドラマ、トーク番組などなど、ほぼほぼすべてのジャンルの番組に携わってきました。
 民放のテレビ番組の場合、CM収入に影響する「視聴率」というのが、番組の評価の大きな基準になります。他にも、視聴者からの投稿や批判、番組モニターの評価、番組審議委員会の評価、民間放送連盟などの賞、などがありますが、基本的には高視聴率さえ取れれば、とりあえず成功です。逆に視聴率がとれないと、肩身の狭い思いをします。

 ではどうしたら高視聴率の番組が作れるか?

 これが分かっていたら、そんな楽なことはありません。
以前私が在職した放送局の制作部には、私が退職後の事らしいですが、「勝利の方程式」なる言葉があった(ある)そうです。こういう風に番組を作れば視聴率がとれる、という、
ひな型として、今も現役の多くの局員がその幻想に囚われているようです。ある構成のフォーマットやネタの切り口、扱い方、などで視聴率がとれたから、このやり方を踏襲すれば視聴率がとれるはずなので、それを「勝利の方程式」と称して、外注のディレクター含め、すべての制作者にそのやり方を強要する風習があるようです。

そんなもん、あるわけがありません。

 中日ドラゴンズの勝ちゲームの継投パターンからパクった言葉ですが、ちゃんちゃらおかしい話です。番組は野球じゃないんですから。

 で、私は、私なりに、自分が担当した番組で、成功した番組(ある程度高視聴率がとれたり、評価の高かった番組)と、失敗した番組(視聴率がとれず評判の悪かった番組)を自己分析して、何がその要因だったかを分析してみました。

 分かったことは、企画から仕上げまで、自分がイニシアティブを持てた(持たせてもらえた)番組は成功し、そうでない番組は失敗した、という事です。

 イニシアティブを持つという事は、特別な権利を持ったり自分の思い通りにスタッフを強引に動かすリーダーになる、という事では決してありません。
 要は企画の主旨と予算さえきっちりと合意していたら、現場の制作の進め方やスタッフのキャスティング、など、具体的な制作プロセスをすべて任せてくださいということです。
 
 会社員時代は組織ですからペイペイの平社員の私は上司や先輩の指示に従うわけですが、こうした場合は上司や先輩、あるいは番組編成のヘッドクォーターである編成部の担当者の人柄や人間性に大きく左右されます。
 そうした発注側の人たちからの要求が明確で、何を求めているかがはっきりとしていて、それを具体化するにあたって私を信用し、ディティールをすべて任せていただけるかどうかにかかっています。
 とはいっても、一つ事を進める時には必ずそのメンバーを集め、話し合い了解をとって進めていきます。そもそも私を信用していただいて発注していただいているわけですから、その話し合いは非常に順調で、アイデアもドンドン取り入れて、より良いものに仕上がっていきます。

会社員時代1983年頃の筆者 ダサいね~

  例えば1982年頃、あるクライアントから営業を通して、洋楽のPV(プロモーションビデオ)を主軸にした、かっこいい音楽番組ができないか、との発注が舞い込みました。 
    当時、MTVはまだ日本では放送されていず、洋楽のPVが放送されていたのは、大橋巨泉さんがMCの「11pm」内での音楽情報と、1981年に始まった小林克也さんがDJ風に顔出しして洋楽のヒットチャートを紹介する「ベストヒットUSA」ぐらいでした。 
 クライアントはオシャレな飲食店やディスコなどを経営するグループで、洋楽や流行に詳しいその会社のブレーン的な存在の方が、直接CBCの営業担当者Kさんに持ちかけた話だったようです。
 そのKさんが音楽好きで洋楽にも造詣が深く、そこから編成部に話を持ち掛けたところ、編成部M君が私の高校時代の友人だったこともあって、高校で勉強もせず、仲間とレッド・ツェッペリンやクリーム、ディープパープルなどを演奏して遊んでいた洋楽好きの私をよく知っていたM君が、制作部の私に話を持ち掛けてくれたようです。 
 
 営業のKさん、編成のM君が素晴らしかったのは、企画をスタートする時点で、クライアントと営業Kさん・編成M君・制作(私)との四者会談を設け、クライアントが何を望んでいるのか、今の予算ならどんな番組が可能か、増田ならどんな番組の仕立てにして作るか、という事を徹底的に話し合い、共有し得たことです。
 それはクライアントも営業も編成も制作も、相互に尊重し合う純粋にクリエイティブな話し合いでした。そして合意した時点でスタッフのキャスティングや制作手順を含め、私にほぼお任せいただけた、つまり制作のイニシアティブを私に託していただけたことです。こうした事例は非常に珍しいことです。 
 
 というのも本来、営業と編成と制作、それも現場のディレクターが、クライアントと一緒に直接クリエイティブな話をするなんてことは、少なくとも当時のテレビ業界では、極めてレアなことでした。    
 当時のテレビ業界では(今もかもしれませんが)、営業担当者はクライアントと現場ディレクターとを直接会わせることを極力避けていました。そこには、お金の流れによるヒエラルキーが厳然とあったからです(下記)。

クライアント  
 ⇩
広告代理店  
 ⇩
放送局の営業部  
 ⇩
放送局の編成部  
 ⇩
放送局の制作部
  ⇩
現場プロデューサー(制作会社含む)
  ⇩
現場ディレクター(局員・フリー問わず)

 つまり、お金を出す方が圧倒的に偉くて、現場で実際に番組を作る側は、圧倒的に社内下請け状態なわけです。しかしこのシステムには大きな欠陥があります。
 
 「伝言ゲーム」という、何十人かが内緒に言葉を次々と伝えていくと、最初に言った人と、最後に聞いた人とが、まったく言葉が違ってしまうゲームがありますが、それと同じ現象が起きてしまうのです。
 つまり、クライアントが本来望んでいる番組が、広告代理店の忖度、営業部の忖度、編成の忖度などを経るうち、現場ディレクターに全く違う発注が届いてしまい、出来上がった番組を見て、クライアントが「話が違う」と怒ってしまうという不幸な事態です(これ、多いです)。
 
 視聴率が良い場合は、編成や営業や代理店がクライアントをなだめすかして、結果オーライという事もあるのでしょうが、視聴率が悪いと、お互いの不信感だけが募り、番組もぎくしゃくして面白くなく、視聴者にとっても良くない状況になってしまいます。
 
 実はクライアントが望んでいる事がそのまま現場ディレクターに伝わっていれば、クライアントも非常に満足する内容になることが多いのです。でもそれをすると、広告代理店の立場や中間部署の立場がなくなってしまいます。
 また、一方ではクライアントのわがままから現場ディレクターの制作を守るという意味合いもあります。
 クライアントの中には、
「金を出してるのはこちらなんだから言う通り作れ」
という傲慢不遜な人もいますから、一応国の免許事業として公共の電波で放送を出している以上、編成や営業は、クライアントの度の過ぎたわがままや要求から制作体制や番組を守るという意味でも、上記のような構図ができているのです。

 話は戻りますが、私が一任された洋楽番組は、
●コンセプトは絵のついたラジオ(radio with pictures)
●だからDJは冒頭以外顔を出さずPVのみでつなぐ
●PVは極力フルコーラスで流す。
●DJのコメントも字幕もすべて英語だけにする
●CMを入れずジングルだけにする(これはなかなかに凄いことです)
・・・というコンセプトでスタートしました。

 私がイニシアティブを持つことで、まず、スタッフィングからスタート。最初に、お互いの趣味やセンスがよくわかっていて、最先端の流行に詳しく顔の広い友人のMさん(現在tree代表)に企画構成の相棒になってもらいました。
 斬新な番組タイトルの「ROCK A VISION」も、Mさんの知り合いでオーストラリアで活動しているクリエイターの方に提案・デザインしていただきました。
 またMさんの伝手で、東京の外国人相手の有線ラジオ局KOXをご紹介いただき、DJのマーク・ヘイゲンさんに声の出演依頼、さらにKOXのディレクターのIさんに、クライアントのCM代わりになるかっこいいジングルの音を作っていただきました。
 スタジオは使わず、我々がKOXラジオに出向き、DJの冒頭の登場挨拶シーンを4パターンまとめ撮りして使いまわし、番組タイトル用映像やジングル用映像の撮影も、そのラジオブースでまとめて最初に撮らせてもらいました。
 ジングルに合わせた映像の編集は、私が報道の編集室を夜中に借りてコツコツ作りましたが、元々の音が非常にかっこいいので、それに合わせて映像をつなぎ加工するだけでOK。
 洋楽を扱うレコード会社すべてに、とにかく他局よりも早くCBCに新譜のPVを持ってきてくれるようお願いしました。
 選曲は前述のMさんと一緒にそのPVを見ながら決め、イントロとアウトロにつけるDJのコメントをMさんが書き、それを英訳してKOXに送って、マークさんのDJコメントを録音してもらい、そのテープを送ってもらいました。
 実際の毎回の制作は、それらの素材を持ち込み、音楽に造詣の深い編集マンがいる、当時最先端のデジタル編集機を備えたポストプロダクション内の編集だけで完パケに仕上げてしまうという、低予算を実現しました。

ポストプロダクションでの編集風景(スーパー入れ)

 その結果、日本で最初に、全編日本語が一切出てこない、スタジオトークやCMすらない、英語だけの洋楽番組が誕生。1983年から85年にかけて、CBC-TVで日曜の深夜に放送されたのです。

「ロック・ア・ビジョン」のタイトル画面 1983~1985 CBC-TVより

 当時まだMTVをはじめ洋楽番組はベストヒットUSA以外なく、日曜の真夜中(12:45~)にもかかわらずベストヒットUSAよりも高い平均2.0%以上の視聴率を獲得しました。
 当時は世帯視聴率しかなく、主に高校生・大学生に視られていたようで、月曜の朝の地下鉄の中、女子高生たちの間で「きのうのロカビ見た?」という会話が頻繁に聞かれました。洋楽で、しかも全編英語だけ、という非常に特殊な番組ながら、この時間帯の視聴率としてはもちろん、クライアントが狙った若い人たち(高校生・大学生)に受けたという点では、成功と言っていいのではないかと思います。
 
 後年、昔「ROCK A VISION」を視てあこがれ、この業界に入ったという人も多くいることを知り、制作者冥利に尽きますが、しかし、これは私にイニシアティブを持たせてくれた、当時のクライアント、営業部Kさん、編成部M君(今や中部日本放送㈱の社長さんですぜ)、Kプロデューサー、そんなみなさんのおかげなのであります。私のいう「イニシアティブ」とはこういう事なのです。

 逆に、私がイニシアティブを持てなかったために、哀しい失敗を遂げた番組も多々あります。
 
 某電力会社がスポンサーで、エコ(環境問題)をテーマにしたバラエティー番組を作るという事になった時、私はすでに局を退職しbirdfilmの代表として、主に自然や生きものを取材、番組化していました。それで昔の局の先輩が、エコの事なら増田を、と言って「総合演出」の立場で私をフィーチャーしてくれたのです。
 先輩は当時すでに子会社におられ、本社からこの番組制作を委託受注されたのですが、本社の担当プロデューサーはバラエティー番組出身の「勝利の方程式」派の方で、私には全く信頼がなく(ほとんど会ったことがない)、どちらかと言うと私の事を、生きもの好きの静かで真面目なおじさん、という風にとらえていたようです。
 ですから当然、本社のSプロデューサーがイニシアティブを持ち、キャスティングはもちろん、スタッフィングもSプロデューサーの手勢で占められ、「総合演出」という立場ながらほとんど私の意向は通らず、かといってすべてがSプロデューサーの意向通りかと言うと、そうにもならず(スポンサーとか代理店とかキャストとかへの忖度が作用したのでしょう)、何だかギクシャクした変な番組になってしまい、視聴率的にも明らかに失敗でした。

 そもそも、
「環境問題をテーマにしたルーシーショー的なコント風の笑えるバラエティー番組にしたい」
などというクライアントの意向を真に受けた時点で間違っているのですが、そこは私以外、誰も突っ込まない。
だって、そんなコンセプト、コンセプトにもなっていないでしょう。
(こういうことを大っぴらに言うから私は嫌われるんだな)   
 「環境問題」を面白く紹介する番組はあり得ますが、ルーシーショー風のコントにするなんて発想が、そもそも環境問題の本質をわかっていないですもん。まあ、大手電力会社や大手代理店が「環境問題」を口にする時は・・・背景にロクなことがない場合が多いですもんね。

 予想通り番組は短命に終わりましたが、その1年後かな、COP10(生物多様性の国際会議)が名古屋市で開催された時、その特番として、Sプロデューサーから生物多様性の大切さを楽しく面白く伝えるTKOや前田前田をフィーチャーしたロケバラエティー番組を制作依頼された際は、内容を含めイニシアティブをある程度私に任せてくれました。一緒にロケに同行したSプロデュサーは、改めて私がただの自然生きもの大好きおじさんではなく、バラエティーで笑いもとれる(ただし「勝利の方程式」派とは笑いの質が違う)演出者であることが分かったようです。

TKOが出演したロケ番組のタイトル画面 CBC-TVより

 このロケ番組ののち、Sプロデューサーは、改めて私に過日の私への誤解と不信を素直に認めて、私の演出力をちゃんと評価してくれました。
 
 まあ、今のCBCの多くのプロデューサーも、きっと私を、「生きもの好きのまじめで変なオジサン」、と思っていることでしょう。それは過去を知らないから仕方がありませんね。昔、私が担当した番組のディレクターのクレジット名が「ラジカル増田」(私をよく知る先輩のディレクターが付けた)という事を知っていたら、多少はもう少し私の番組作りの本質を理解しようと思うでしょうが。

 
 局のプロデューサーも色々あって、Iプロデューサーは、「キャストが街歩きをし、そのキャラクターを生かして街で触れ合う素人さんの面白さを引き出す情報バラエティー」というコンセプトから外れなければ、すべては各ディレクターにイニシアティブを任せる、という主義で始めたのが「そこ知り板東リサーチ」でした。私だけでなく、他のフリーのディレクターみんなが本領を発揮し、それぞれの個性を生かして、ゴールデンで常に2ケタ、最高で25%以上もの視聴率を取った、まさに成功例でした。

 このIプロデューサーは非常に優秀で、特に笑いと人情に関してはピカイチのセンスを持ち、笑福亭鶴瓶さんの台本も打ちあわせもないぶっつけ本番の即興ドラマ「スジナシ」の発案者でプロデューサーとしても知られています。
 
 以前、えなりかずきさんをMCにしたお天気情報番組「そらナビ」をスタートする際、Iプロデューサーの相談役でもあった私は、相談やアドバイザーだけでなく、「増田さんも何か好きなことやって、何でもいいから」と言ってくれたことがあります。もう、そのコーナーのイニシアティブは増田任せ、ということです。

 番組コンセプトは一緒に考えた仲ですからよくわかっているので、どうせ毎週土曜日夕方の生放送に立ち会うなら、その日の自然を感じるままにカメラレポートして撮って出しする「今日の花鳥風月」というコーナーをやらせてもらうように頼みました。
 毎週毎週土曜日は早起きして、その日の天気や季節によって、気のおもむくままに近所に出かけ、自分が気づいた自然の面白さや不思議さや美しさを、顔出しせず、撮影しながら自分の言葉でレポートする、今のユーチューバーの走りみたいなコーナーです。
 時間はわずか1分半。これがMCのえなり君にもお天気キャスターの森田さんや森さんにも予想外に好評で(おっと自画自賛)、ちょっとした人気コーナーになり、番組の最後まで続けさせてもらいました。
 このコーナーのVTRを集めて再編集し、新人ディレクター君がこの取材に同行して紹介する、という仕立ての特番で、民間放送連盟賞優秀賞もいただいたように記憶しています。
 これも、イニシアティブを私が持つことで、成功した事例の一つだと思います。

そなナビ内「花鳥風月」のタイトル画面 CBC-TVより

 最近では、SK プロデューサーと組んで作った、伊勢神宮とその背景の森の自然を一年間取材した「五十鈴川を行く」でしょう。SK プロデューサーはご自身がイニシアティブを持つと本領を発揮するタイプの、ディレクター気質の方ですが、この五十鈴川に関しては、相手が「自然・生きもの」ということで、イニシアティブを全面的に私に任せてくれました。
 元々の物事の捉え方、考え方、価値観が非常に近い事もあって、番組の構成や方向性に関してもすんなりとお互いに合意でき、語り手のキャスティングや、神宮の神事の撮影などのイニシアティブはSK プロデューサーに任せ、4K映像制作の仕上げ方や5.1サラウンドの音楽制作のスタッフィングは私に任せていただいたので、できる範囲での最高のメンバーで制作することができました。
 その結果は、視聴率よりも各賞の受賞が物語っていると思います。肉体的には大変な撮影でしたが、精神的には非常にストレスなく、やりやすかった制作でした。
(捌稿、ライバルは「逃げ恥」だった・・・をご参照ください)

 こうして今までのいくつかの事例を振り返ってみると、やはり、ディレクターとして信頼されてイニシアティブを持たせてもらった番組はほぼほぼ「成功」したと言えそうです。
 
 つまり、私は、自分や信頼できる仲間と企画から考え、それを自分の選んだ仲間と共有し、仲間のアイデアや長所をうまく取り入れ、任せる所は的確に指示して任せ、プロセスから仕上げまで全部手の内に入っている時に、プロジェクトがうまくいく、という事です。そこにヒエラルキーはなく、共に尊重し合って作り上げる「協働」とも言えるでしょう。
 
 これは私が気質的に「待ち」でなく、「仕掛け」の人であることに起因するようです。
 会社などの組織では、上司の命令や指示を「待ち」、その指示に従って動くことが良しとされます。ですから会社員当時は上司とよくぶつかりました。会社は組織ですから、必然的にヒエラルキーがあります。私は本質的にそれが苦手なようです。だから会社を辞めちゃったわけですが笑。

 こういう私ですから、「待ち」を要求される制作プロジェクト(理由もわからずに指示待ちとか、リーダーに明確なビジョンがなくゴールを具体的に共有できないからどう動いたらいいかわからない)は苦手で、ストレスが溜まります。
 また、組織のヒエラルキーに巻き込まれて、自由気ままに動きにくいのもダメです。
 もし増田を有効利用しようと思うなら、とにかくイニシアティブを与えてください。決して悪いようにはしませんから。
 
 基本理念や理想や哲学が同じなら、平等な協働もOKです。でも、そこに上下関係やヒエラルキーという言い訳が出てきたら一気にモチベーションが下がります。
 これはテレビ番組制作に限らず、あらゆる作品作り、商品作りに言えることかもしれません。

 世の中のクリエイターの中には、私のような、組織にそぐわないタイプの方も多いのではないでしょうか。
 これからの時代、元請け・下請けというヒエラルキーや、組織の上下関係が強く残るような「磁場」からは、決していいもの、新しい価値観は生まれてこないように思います。
 
 プロジェクト成功させるには、まずリーダーが明確なゴールのビジョンと、リベラルなイニシアティブを持つこと。
 そして、ゴールのビジョンを共有できる、価値観も同じで、年齢やキャリアによる上下関係のない、それぞれが各分野で高い能力を持ち、高いモチベーションで参加できる仲間と、有機的なチームを組んで進めるのが、一番成功に近い方法だと私は思っています。いかがでしょうか。

    文責:birdfilm 映像作家 増田達彦

 

 

 



 



 
 





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