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【短編小説】らっぽやん #4  冬の蜻蛉(とんぼ)

 日本の一部地域では、子どもたちの間でトンボとりの名人のことを「らっぽやん」と呼ぶ。

 
 昭和29年1月の名古屋は、
前年程ではなかったが、雪が多く寒い冬だった。
 家政婦をしながら女手一つで、ミノルを高校へ
通わせてくれていた母が倒れたのは前の年の暮。
 結核だった。
 
 四日市の病院に勤めていた叔父の計らいで、
結核専門病棟へ入れてもらえることになった。
ミノルの叔父さんは、感染の心配も配慮して、
正月が明けたらミノルは名古屋の実家に残り、
アルバイトを続けながら、
高校へ通うよう勧められた。

 大みそかから正月三が日は、
病棟の母の側で看病していたミノルだったが、
1月3日の夕方名古屋の実家に帰ることにした。
 元々はふっくらとしていたはずの母の頬が、
随分とほっそりと変わってしまっている。
そんな母を見ていられず、
ミノルは病室の窓から、
鈴鹿山脈に沈む夕日をまぶしそうに見た。

「ミノル、ごめんね。
 あんたにばっか苦労させてまって・・・。」

「オレのことは大丈夫だに。
 向かいの中島さんのおばちゃんが、
 いつも煮物やコロッケをくれるし、
 隣の森田のおばちゃんも面倒見てくれるから。
 母ちゃんは安心して病気直してや!」

 ミノルは精一杯の笑顔で母の方を振り向いた。
  
 「そろそろ行くわ。汽車に乗り遅れると、
  今日のうちに帰れんくなってまうで。」

 笑顔を張り付けたまま、
病室のドアを後ろ手で閉めると、
急に胸の中から何かが溢れ出しそうになった。
病室の外で待っていた叔父さんが、
病院の車で国鉄の駅まで送ってくれた。
 
 「ちょっと前までは、〝結核は不治の病〟
  と言われていたんやけど、今はなあ、
  ストレプトマイシンという特効薬ができて、
  軽症の内ならよー効くんや。
  ミノルのお母さんも病気が早く見つかったで
  大丈夫や。安心し。」

 ミノルは、しかし知っていた。
特効薬と言っても完全ではないことを。
患者の体力や免疫力、
結核の進行具合によっては、
重篤化を止めることができないことも。
その不安は、名古屋へ向かう汽車の窓から見える
暗い冬の空のように、
ミノルの心に染みついていた。

 

 
 名古屋に戻ってしばらくした日曜日、
朝刊の配達を終えて一眠りしていたミノルを、
知らぬ間に家に上がり込んだ親友のペンキ職人、
タケシが蹴とばすように叩き起こした。
 
 「よお、いつまで寝とるんじゃ!
  せっかくの日曜日だらあ、
  遊びに行こまい!」

 タケシは冬のボーナスで買ったという
ちょっと小粋な中古のスクーターにまたがると、
後ろにミノルを乗せて、砂利道を東へ向かった。
 身を切るほど冷たい風の中を30分ほど走ると、
南向きの谷戸の田んぼに、スクーターを停めた。

 「タケシ、こんなところで何するんだ?」
 
 「オレらがやることと言ったら、
  らっぽ探しに決まっとるだらあ。」

 「らっぽ?こんな真冬におるんか?」
 
 「この日当たりのいい土手の枯れ草の中を
  じっくり探すんや!
  よーく探さんと見つかれへんぞ。」

 真冬にトンボがいる?
半信半疑で探すミノルの目に、
土手に生えた枯れ草にそっくりの、
茶色いイトトンボが見つかった。

 「おった!おったぞタケシ!」
 
 「らっぽやーん! おっ!こいつはすごい!
 『ホソミオツネントンボ』じゃん!」


  「真冬でもこうして、
   ちゃんと生きとるんだなあ・・・。」

  「ああ、雪に埋もれても羽根が凍っても  
   こいつは死なん。  
   ほんで、春になったら、  
   真っ青に色が変わって飛びまわる。  
   お前の母ちゃんも、  
   春になったら元気になって帰ってくる!」 

  「タケシ!」  

  「だから今はそっとしておいて、  
   春、きれいな青いトンボになったら、  
   一緒に見に来ようや!」



 4月上旬、二人は再び谷戸を訪れた。
水が引かれた田んぼの片隅で、
鮮やかな青いイトトンボが何匹も舞っている。
他にはない、その独特の「青」の美しさに、
ミノルは心を打たれた。
それはいのちが輝く色そのものだった。


 
 ミノルの母が、少しだけ元のふっくらした顔に戻って無事退院したのは、その一週間後だった。



作:増田達彦(水澄げんごろう)
初出:2021年12月 
名古屋市水辺研究会会報の原稿に加筆した新作です
この作品はフィクションです。