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葛飾会議〜ワールドワイドナイト〜

ども!こちら葛飾区亀有公園前に実は派出所は無いという葛飾区はビール醸造所も無い、という事で設立を目指しているビール界のリョウさんこと きちブルーイングです。(名前がりょうすけって言います)

先日、「すんでるまちを、せまくする。」をテーマに人と人を繋げ、活動と活動を繋げる有志の集まり”葛飾会議”さんにゲストスピーカーとしてお招きいただき、海外に住んでた頃〜クラフトビール との出会い〜醸造所立ち上げ準備、などのお話しをさせていただきました。

今回のお話しをいただいた際、「普通こうゆうのって既に事業を成功させている人とかが話すよね?」って自分自身でツッコミを入れつつ、面白そうなんでと二つ返事でOK。両津勘吉なみの軽いノリで出させていただきました。

おそらく、きちブルーイング名義での初活動となった本会議。

亀有の大先輩、こっちが本当に両さんじゃないかって思うくらい濃い、ディジュリドゥー奏者のシンゴさんとご一緒に登壇させていただきました。

そんな中川のプレゼン内容を全載せすると相当量になってしまう為、抜粋した内容をご紹介させていただきます。

まず海外へ興味を持ち始めたきっかけですがこちら。

時は2008年、皆様ご存知リーマンショックの影響による景気後退の煽りを受け、2009年卒新入社員の内定取り消しが相次いだ年(昨今の状況にも似てますね・・・)。そんな中、私が入社した企業はかなり大胆な策を講じ、1年間休職扱いにする代わりに、会社負担による語学留学を実施しました。この発表を聞き、うなだれる同僚の横目に歓喜のガッツポーズをしていたイカレポンチは私です。

でもなんでフィジー?ってとこなんですが、ズバリ留学費用が安いからです。正直場所どこだよって私含め全員が思ったところですが、フィジーの位置関係はこんな感じ。

オセアニアに位置する南国の楽園フィジー。幸福度世界一にも輝いた幸せ先進国。見知らぬ同士でもすれ違えば挨拶し、バス停で待ってるだけで話しかけてくるフィジー人。話してるうちに家のバーベキューに誘われるとかしょっちゅうあり、日本とは真逆に(もしかしたら昔の日本はそうだったのかもしれないけど)、人とのパーソナルスペースが超近いフィジーはすごく良い意味でのカルチャーショックをいただけた私のアナザースカイ。

こちら担任だったマーク。身長190㎝を超える巨体から生み出されるユーモアで生徒を魅了する心優しきフィジー人。毎週末飲みに連れてかれ、注がれたお酒は一気に飲み干しそれを順々に延々と飲まされ続けるフィジー流宴会作法(アルハラ)、をしっかり叩き込まれた若き日の私。(そんな彼は日本人と結婚し、現在は沖縄で英語を教えています)
この後我々が住んでいた寮が襲撃され、流血騒ぎになる大事件などをここに書いていったらキリがないので割愛します。

そして一気に飛んで帰国間際の写真がこちら。しっかりと仕上がりましたね。人間暇になると眉毛全剃りとかし出します。

そんな楽園フィジーでの1年間は、noteの1記事では到底収まらない濃ゆい充実した、本当に楽しい日々(過去のひとときに一度だけ戻れるとしたら、この日々を選ぶくらい)だったのですが、ある村に訪れた際フィジー人に言われ衝撃の一言がこちら

これから”サラリーマン”として日本の企業文化にひったひたに染まるはずだった23歳の若造に、こんなパワーワードが与えられるとは到底想定できなかった人事部の誤算はさておき、そりゃもう響きました。日本でそこら中にココナッツは生えてはいませんが、食用の草ならそこらには生えているし、飢死することなんてほぼ無い。過度なストレスを受けながら身を削るように仕事をしなくたって生きていける。このフィジーと言う途上国では過労死という言葉は無いようです。

そんなポジティブ幸福国フィジーの国民性を表す習慣に、”ケレケレ”と言う共有文化があります。村などのコミュニティーにおける絆が非常に強いフィジーでは、村の中の物は服であれ食糧であれ何でも全員で共有しており、しかも”勝手に”借りていくという日本人は最初面食らう驚きの文化があります。
当時、現地の学校スタッフとして私たちの面倒を見ていただいていた永崎裕麻(ながさきゆうま)さん。現在は旅幸家(りょこうか)としてフィジーの幸福論に関する本も出版されており、その抜粋内容を漫画にしたものが無料で見れ、ケレケレについてもわかりやすく漫画になっています⇩
https://www.lifehacker.jp/2020/06/215281the-weakness-of-the-southern-islands-vol2.html

また、昨今話題のSDGs(持続可能な開発目標)は”誰一人取り残さない”ための国、地域、さらに小さなコミュニティを持続的に成長させていく事を原則としていますが、相互扶助の文化が根付いているフィジーはこの”誰一人取り残さない”ことを既に体現しており、国民一人一人の幸福度が高い所以かもしれません。

とフィジーの話だけで長々と書いてしましましたが、ここからオーストラリア編。4年弱所属した会社を(もちろん)辞め、ワーキングホリデー制度を使いオーストラリアへ。
※オーストラリアに関しては別記事でも上げている為、大幅に割愛させていただきます

こちらはバンダバーグという町で農作業をしていた時の仲間たち。

総勢13名でシェアしていた時のシェアメイトと

そして別記事でも上げておりますオーストラリア一周車の旅。

ビクトリア州の海岸沿いグレートオーシャンロードの途中にある「12使徒」

オーストラリア最南端の島、タスマニアでトラッキングを楽しむ私

エアーズロックと私。こちらの写真「お前の風貌でエアーズロックが全然入ってこない」とのことで大変不評です。

そんなオーストラリアでの移住初期、友人に勧められ飲んだクラフトビールに衝撃を受け(ずっと衝撃受けてんなこいつ)、それはもうどっぷりとクラフトビールにハマっていきました。

オース周遊時、私が大好きなブルワリー”リトルクリーチャーズ”の醸造所に立ちよった際の写真がこちら。外観は工場といった感じですが

中は醸造所併設レストランなんてレベルじゃなくて”醸造所内レストラン”。ブルワリーと飲食スペースを隔てる仕切りがなく、手を伸ばせば発酵タンクに触れてしまえるほどの距離感。日本だったら絶対免許降りねー!なんてことは当時全く知らなかった私ですが、ファーメンター間近で飲んだビールの味は最&高だったことは言うまでもありませんね。

本当に工場内にレストランとバーがある。

そして帰国後、クラフトビールへますますハマっていき、次第に飲み手から作り手になりたいと言う願望を抱くように。

そしてここからブルワーになるまでの話しなんですが、書こう書こうと思って書かずにいた
「クラフトビール との出会い。そして旅立ちの時」「私がブルワー になった方法。そして旅立ちの時」
の続きにもつながるブルワーになった際の話しもいよいよ書いてこうと思います!

・・・次回でねテへ!

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