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クラフトビールとの出会い。そして旅立ちの時。

どもぅ!葛飾区初のクラフトビール醸造所設立を夢を見る永遠の17歳。本当は倍の34歳きちブルーイングです。

今回は私がクラフトビールを好きになったきっかけについてお話しして参ります。

実はおよそ6年前まで、クラフトビールという存在自体ほぼほぼ知りませんでした。元々大のビール党ではあったものの、キンキンに冷えた大手ラガーの犯罪的な味が大好きだった。(というか今も大好きっ!)

転機は2014年。新卒で入った企業を辞め、ワーホリ制度を使いオーストラリアへ移住した時のこと。既に現地に住んでいた友達に勧められて飲んだビールだった。

それがこのCoopers(クーパーズ) のスパークリングエール。パブやボトルショップ(酒屋のようなもの)でもよく見かけるオーストラリア定番のクラフトビールだ。

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クラフトビールを初めて飲んだ人であれば誰しもが感動するであろう強烈なアロマ、ラガーでは感じることの無かった膨よかなボディ。一本のみ終えた頃にはすっかり魅了されていた。

しかもこのビール、発酵タンク内での一次醗酵後、ビンや樽に無濾過で充填し、残留酵母の栄養となる糖分を混ぜ、二次醗酵を行わせるという珍しい製法で作られていた。

まさかべアードビールで同じ二次醗酵醸造を担うようになるとは夢にも思わず、オース産の様々なクラフトビールを飲み続け、いつしか立派なビアギークへと成長を遂げていた。

車でオーストラリア一周した際も大好きなブルワリーに寄り、巨大なファーメンター(トップ画)を眺めながら飲んだビールは最&高だった。小学校の遠足&母の手作り弁当。キャンプ場&皆んなで作ったカレー。ハワイ&バカでかいステーキ(行った事ないけど)に匹敵する飲食体験をもたらしてくれた事を今も鮮明に覚えている。

約2年間オーストラリアでクラフトビール漬けの生活を送っていた私は、ビアギークからビアジャンキーへと進化し、そろそろ注射器に入れて血管に直接ぶち込んでもおかしくないレベルになっていた。帰国時の心配事といえば「日本に帰ったらそう易々とブツは手に入るまい」だった。

しかし国内クラフトビール事情はそんな私の思いを良い意味で裏切ってくれた。なんせ日本には既に数多くのブルワリーと世界中のビールを取り扱うビアバーが至る所にあったからだ。ビール=大手というフィルターが外れた僕にとって、知らず知らずのうちに地元東京がクラフトビール都市へと変貌を遂げてしまったかと錯覚するほどだった。

そしてオース時を超えるペースでクラフトビールを飲み続け(なんせ近くにびあマとかあるし)、ますますハマっていく私は、次第にビール作りへの憧れを抱いて行く(これは帰国後友達になったオーストラリア人がブルワーだったことの影響が大きい)

これといって秀でた能力の無い私だが、行動力という能力チャートだけ人より僅かに尖っている事もあり、その後履歴書片手にブルワリー巡りの旅に出る。

と、長くなるのでその話しはまた別のノートで。

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