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気がついたら、ワクワクより便利さを選んでいたという話

 私は、日記を毎日書いています。

 最初は手書きでしたが、便利さから、途中でiPadのアプリで日記を書いています。

 やはり、電子端末での方が便利ですね。手書きよりもタイピングの方が遥かに早いですし、出先でもどこでも書ける、というのは電子端末での日記の良さだと思います。手書きのいい味、というのもあるとはおいますが。


 私は、本も漫画も読みます。

 昔は紙の書籍しか読みませんでしたが、数年前から移行し、今ではほとんどが電子書籍になりました。便利なんです、とにかく。いつでも買えるし、いつでも読めるし、スペースも取らない。

 ただ、買っている漫画の中で、ワンパンマン、という漫画だけはちゃんとした紙の本で買っています。特に理由はありません、最初に紙の本を買ったので、そのまま合わせて紙で買い続けているというだけです。

 今日は休日だったので、最近買ってなかったワンパンマンを6冊ほどまとめ買いしようと思い、近くの本屋に行きました。しかし、私の欲しい18巻〜23巻のうち、20巻だけが抜けているのです。

 2時間ほどかけて、数店の本屋を巡り、ようやく抜けていた20巻を見つけました。そして、そういうことに時間を使うことに少年時代の懐かしさを感じました。

 そういえば、子供の頃は欲しい漫画を探して書店をよく巡っていたこと。途中が抜けた漫画も、先読みたさに、抜けたまま読んでしまったことも多かったこと。

 不便さを楽しむ、という感覚、というのでしょうか。もちろん、少年時代は「不便だ」という実感すらなかったでしょうか。

 時代が進んだことに加え、私はもう社会人ですので、その気になれば、欲しい漫画など欲しいときに欲しいタイミングで全巻まとめ買いして読むことができます。

 それなのに、少年時代に漫画を読んでいたときの方がワクワクして楽しかったと記憶しています。これは当たり前かもしれませんが。大人になり、少年漫画にどっぷりと心まで浸かりきることができなくなっているのでしょう。

 少年のように毎日ワクワクして生きたい、というのは私の一つの目標でもある気がしました。子供が遊ぶようなコンテンツをいつまでもやり続ける、という意味ではありません。

 自分の実力や心に見合ったものに全力で取り組んで、泣いたり笑ったり。

 そんなことが、大人になるととても難しいんですね。

 そんなことを思った、ほろ苦く、でも少し甘いようなものを味わったような休日でした。

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