見出し画像

「一汁一菜でよいという提案」を読んで、自分の食事を振り返る。

土井善晴先生が、雑誌の取材で我が家に来てくださったのが、3月。
その時に「一汁一菜でよいという提案」の本を購入。

読んでみて、今までの「食事」を作る側の捉え方が変わったのでシェアします。
本の中で、土井先生は、
「頑張らなくていい。毎回美味しくなくてもいい。」
「自分自身の心の置き場に帰ってくる生活のリズムを作ること。」
「その柱となるのが食事」
など、今までの母親像の呪縛から解き放される言葉たち。
この言葉に救われる母たちは多いと思います。

我が家は、4世代7人。私が1日3食の食事作りを担当します。
祖母や義理父母の好きものと、子どもたちが好むものは異なります。それぞれ好みも好き嫌いもあるので、それを毎日3食配慮しながら作るのは至難の業。作ることから逃げ出したくなることも多々あります。
自分が食べたいと思った献立も家族にはウケないこともあり、だいたい決まった献立の中で、毎回野菜と肉や魚のバランスも考えて、2〜3品、多い時は5品つくります。

土井先生は本の中で、ご飯を中心とした汁と菜(おかず)の一汁一菜で充分。
菜(おかず)と言っても、お漬物で十分。
ご飯は日本人の主食。
そして、暮らしにおいて大切なことは、自分自身の心の置き場、心地よい場所に帰ってくる生活のリズムをつくること。一日一日中、必ず自分がコントロールしているところに帰ってくる。
と。

それから、毎朝、ごはんと味噌汁に中心に。
今までは、もちろん味噌汁は作っていましたが、干物を焼いて、パンも焼いてと朝からモリモリに用意して、片付けて。それがご飯が炊けていれば、具沢山の味噌汁だけでいい。
さらに、わたし一人であれば、朝の味噌汁が残っていれば、お昼にもなる。
家族のお昼ご飯は、朝食の片付けをしながら、昼食分を下ごしらえしておけば、あとは焼くだけに。
その分、お昼ご飯の手間をかけずに、作業時間に費やすことができます。



1、一汁一菜のススメ

一汁一菜ならば、どんなに忙しくても作れて元気で健康にいられる伝統的な和食の型。
ご飯と味噌汁がすごいところは毎日食べても飽きないこと。
人工的なものは食べてすぐに「おいしい」と感じる味つけだが、人間は味つけをした食事は、またすぐに飽きて違い味つけのものを食べたくなる。

しかし、味噌や漬け物が入ったカメの中には微生物が共存する生態系が生まれて小さな大自然ができていて、自然は自然とよくなじみ、心地よいと感じる。
特定の風土によって育まれた民族の知恵である食文化は、人間の歴史と同じだけの長い時間をかけて少しずつ経験して蓄積したもの。

「今日のおかずは何にしよう」と考えるより、主食のご飯を丁寧に炊き、具沢山の味噌汁をつくる。
本の中では手早くつくる1人前の味噌汁のつくり方や、土井先生が実際に食べてきた味噌汁の紹介もあります。
味噌汁の出汁取りにベーコンが入っていたり、ブロッコリーやトマトなど一瞬味噌汁に合うのかと思ってしまう食材も入っています。
またその季節にしか食べられない食材で味噌汁を楽しむことも書かれています。
毎日いただく味噌汁で季節を感じられたら心も豊かに過ごせます。

2、「ハレ」と「ケ」の食事

日本には「ハレの日=特別な状態、祭り事」と「ケ=日常」という概念があります。両者の違いは「人間のために作る料理」と「神様のために作る料理」。
ハレの祭り事とは、神様にお祈りして願い、感謝すること。
人間が知恵を絞り工夫と時間を惜しまず、手間も惜しまず、彩りよく美しく作ります。
そうして人間が神様のためにつくったお料理を神様にお供えしたあと、家族も一緒に食べることを「神人共食」と言います。そうして、長い歴史の中で、酢を使ったり、砂糖を使ったり、煮切って1ずつ別々に煮たり、手早く冷ますといった和食のならではの知恵が培われてきたのです。

反対に、日々日常を「淡々と暮らす」。暮らすことは毎日同じことの繰り返し。しかし、毎日同じことの繰り返しだからこそ、気づくこともあります。

本来、「贅」と「慎ましさ」、「手を掛けるもの」と、「手を掛けないもの」という2つの価値観があり、相反する2つの価値観を併存させ、けじめをつけて区別し使い分け、バランスを保っていました。しかしながら、近年では、ハレの価値観をケにも持ち込み、料理番組で紹介される手のこんだものでないとと思い込み、毎日の献立に悩んでいるのです。
土井先生は、地に足をついた慎ましい生活と贅沢が均衝(きんこう)するところに幸せがあると思うと書かれています。

我が家には、神棚があります。
12月と1月の恵比寿講、お正月のおせち。
いままでは、「めんどくさいな」と簡単にすることばかり考えていましたが、この本を読んで、「神様にお供えする食事」を丁寧につくることの本質が理解できました。

3、和食を初期化する

戦後、日本人は、欧米人に比べて体が小さく、栄養不足であると言われ、ご飯よりも、パンや牛乳、タンパク質の多いお肉をもっと食生活に取り入れようという考えが広がり、高度成長という勢いに乗り、1960年には、花嫁修行として料理学校には若い女性が集まったそうです。自分の母親たちも嫁入り道具と一緒に分厚い料理本が本棚にあるのを思い出すと、なんとなく想像できます。
彼女たちが習ったのは、和食の基本料理の他に、肉料理や油脂をつかった中華料理や洋食料理。家庭料理にハイカラでボリュームのある料理が入ってきました。
「主菜(メインディッシュ)」と「副菜」の考えも世界共通の科学して確立されつつあった栄養学が日本に入ってきたことから始まっています。
本の中には、縄文人の食事についてや、和食の感性(味覚・視覚・聴覚・触覚・嗅覚の五感をすべて働かせて味わう)ことについても書かれています。
日々、当たり前のように油を使い、お肉もいただいていますが、当たり前と思っていた家庭での食事が戦後の80年あまりの歴史のなかで、外から入ってきた食文化だと気づくと、近年の生活習慣病の増加にも頷けます。

4、日本人の美意識と心を育てる時間

昔は、夕方になるとチリンチリンと鐘の音が聞こえ、きれいな水に浮かんだお豆腐を売りにきていました。
角がきりっと立ったお豆腐。角が崩れたお豆腐は売り物になりません。
食べれば、角なんて味には関係ありません。それでも豆腐が四角くて美しいことが大切だった。そういう美意識が日本人には備わっていました。
時代の変化とともにそうした情景はなくなってきましたが、今でも日本らしい感受性は残っています。
例えば
・玄関で脱いだ履物は必ず揃える。
・家に帰ったら手洗いをする。(足も汚れたら洗う)
・「いただきます」「ごちそうさま」
・背筋を伸ばして食べる。食卓で肘をつかない。
・お膳の台拭巾と、お茶碗を拭く布巾を区別する。など

今ではあまりうるさく言うことはなくなってきましたが、楽しい家族の食事の中で、いろいろなしつけがある。特に我が家のような複合家族は、そうしたしつけを教えてくれる年長者がいます。季節の先取りで柿がで始めれば柿を買ってきてくれたり、彼岸になればお団子をこしらえてお仏壇にお供えします。
そうした、自然の変化や物事を通して人の心を察する心を今一度、見つめ直したいと思う一冊でした。

祖先たちが代々と引き継いできた長い歴史を歩んでいたからこそ、今ここに私がいる。
そのことを忘れてはいけません。

40歳を過ぎて、体の衰えを感じつつ、食事を含め、身の整え方を見つめ直す機会でもあると思っています。
より心穏やかに、しなやかに。
そのなかで和食の一汁一菜はとても効果的であります。
そして、家族の健康にも繋がります。

土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」
秋の夜長にぜひご一読を。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?