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K先生のノクターン🎼続・患者のきもち

最近脳裏に浮かぶ光景がある。

            👨‍🦳

「大変な目に遭いましたね。でも、いつかは、相手を許すことをしないと、こうやって自分の体を
痛めつけることになりますからね。」

施術の間、そうかそうかと、辛抱強く愚痴を聴いて下さっていたK先生が仰った。思いがけない言葉だった。

30分のおまけが付いて、1時間半のマッサージが終わり、上体を起こすと、数週間体に纏わりついていた枷と痛みが嘘のように消えていた。

             🏥

肩凝りなど、殆ど自覚したことがなかったのに、左肩から凝りだし、やがて半身がガチガチになるような酷い症状になった。

もう四半世紀も前のことだ。 

初めて行ったS病院の医師は、「ストレスの元を断たなければ治りませんね」、つまり治す手立てはないと言う。

ストレスというのなら、ひとつしかなかった。当時の職場で起きた出来事は、ひとまず解決はしたものの、割り切れない理不尽な感情が尾を引いていた。

「でも眠れないほど酷い痛みなんです。どうしたらいいんですか!」食い下がると…

「まあ、マッサージとか、民間療法が功を奏することはありますけどね」

あの時も感じたことだ。西洋医学は、整体やマッサージを"民間療法"として見下しているのではないか。自分達になす術がないことを、何もしようとしないことを棚に上げて。

あるいはもっと穿った見方をすれば、"民間療法"の威力に脅威を感じているのか、とも今では思える。

救われている患者が沢山いることを、知らないのは勉強不足だし、知っていて認めないとしたら、随分狭量だと思う。

今回の整形外科医はさらにストレートだった。

「整体やマッサージは、もっと酷くなることがあるから、やめた方がいい。」初診時の言葉。

じゃあ、貴方は何をしてくれたんです?

処方された鎮痛剤が切れたあと、歩けなくなるほど症状が悪化したことなど、全く意に返さず、同じ薬を処方、3度目に至っては、窓口で処方箋を渡されただけで、診察も無かった。

数種の装置がずらりと並び、患者さんが次々に入れ替わるリハビリ室。担当者(理学療法士?)は、個々の患者の回復具合など尋ねることもなく、毎回15分間足を温めるスイッチを入れるだけの流れ作業。「はい、終わりました。お大事に!」

効果があるとは思えず、数回通ってやめた。

医学の素人には、論破は出来ないけれど、何か違う、ということは分かる。医師の知識や経験、人間性も様々だ。自分の体のことは、言われるがままではいけない、能動的に対処しなければという気持ちは、今回のことで、一層強くなった。

西洋医学、整体、整骨、マッサージ、それぞれのフィールドには、得手不得手があるだろう。他分野の実際を正しく理解して、互いの連携はできないものか。そして患者に情報を伝えてもらいたい。手遅れになる前に。

整骨院は初めてだけれど、"民間療法"を受けるのは四半世紀振りの2回目だ。今回も劇的な回復をしている。

            🎼

K先生の手技とセラピーで、肩凝りは1回目で消えてしまったけれど、翌週、もう一度施術を受けに行った。

「◯◯さんはノクターンでしたね」と、ショパンのピアノ曲をかけてくださり、心地良い1時間が始まった。どんな話をしたのか、感謝の気持ちをちゃんと伝えられたのか、覚えていない。

K先生にお会いしたのは、それが最後になった。

数年後、ご高齢の先生は最寄駅近くの店を閉じ、新しく出来た健康ランドのマッサージ室に入られたことを知っていたが、予約しようとした時は、すでに退職された後で、個人情報の連絡先は教えていただけなかった。

お顔ははっきりとは思い出せない。でも、包み込むように当ててくださった手の感触、私の愚痴を受け止めてくださり、「でも、やっぱりいつか許すことをしないと…」と、心と体を苛むものから解放されるための、知恵の言葉をかけて下さったK先生とノクターン。

思い出すと、いつも力を与えられる記憶である。






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