大切な人を永遠に失ったあの時

【幸せとは】

今朝も気持ちよく目覚められること。

身体が元気なこと。

心が平穏なこと。

日の光があたたかいこと。

空気が澄んでいること。

家族の元気な声が聞こえること。

鳥のさえずりが聞こえ、

風を感じられる。

木々や草花に触れられる。

旬な食べ物を味わえる。
 
そして、大好きだと思える人たちがいる。


ただそれだけで

それだけで充分幸せ。
 
 
二十歳のときに、
大好きな恩師が雪山で遭難。

小さなお子さんがいる、
優しいパパでもあった。

ニュースを見たとき、無事に見つかってほしいと本気で祈った。
 
ダメだった。

 
伝えたいことがたくさんあった。
なにも伝えられなかった。


人はいつなにがあるか分からない。
ちゃんと伝えられるときに気持ちを伝えよう。

 
そう思った2か月後、
大切な人が自ら命を断ってしまった。

 
会おうね、って話してたのに。

わたしのせいだ。

 
わたしはとある人を深く傷つけてしまった。

それが巡りめぐって、
その人の自死につながってしまった。

そう思ってるのはわたしだけで、
ほんとうは全然関係ないのかもしれない。
自意識過剰なのかもしれない。
 

でも、わたしのせいだ。

というその気持ちはいまでも残っていて。

  
世界が途端に色褪せて、何トーンも下がった。

見るもの全てが輝きを失い、
目が覚めるために絶望感からスタートし、
心にぽっかり穴があいて、
気を抜くと車道に自分が飛び出してしまいそうだった。

後を追ってしまう人たちの気持ちが
よくわかった。
 
あぁ…、今日もなんとか無事に家に帰れた。

そんな日々。

涙は枯れることなく、
いつまでも立ち直れない自分に対して、
なんて弱い人間なんだ、と否定をし続ける。

 
なんとか生き続ける原動力となったのは、
その失ってしまった大切な人の
最後のメッセージ。

それは、
わたしが生き続けて命を紡いでいくことだった。


どんな思いでこのメッセージを送ってくれたのか…。
 
 
本当に苦しくて悲しくて。

こんな想いを家族にさせてはいけない。

そう思える正気さがまだあった。




『すべてのことには意味がある』

『すべてのことは必然』
 

二十歳の時まではそう思って生きていたけれど、
その言葉が受け入れられなくなった。
 
 
意味がある?なんの意味?
プラスに受け取れる要素なんてなんにもない。

必然?なにが?
 
 
暗闇のような日々。

人間はよくできていて、

いろいろな部分をマヒさせることができるみたい。

 
あぁ、もう平気だ、なにも感じない。
涙も出ない。
ようやく乗り越えられた。
 
 
と思っていたら、
とたんに溢れ出し、あぁ、まだダメなんだ。
わたしはいつまでもひきづって
なんて弱い人間なんだとまたバツをつける。
 
 
そして一定期間たつと、なにも感じなくなり、
またしばらくしてあふれ。

その繰り返し。
 

それらは一時的に蓋をしていたかんじで、
いわゆる防衛反応だったように思う。
 
 
あるとき、

わたしが弱いんじゃない。
それだけわたしにとってとっても大切な人だったんだ。
それだけわたしにとって大事な出来事だったんだ。

 
そう思えるようになった。
 

そしていつしか生き方が変わっていった。

わたしはこんな苦しい想い、
絶対誰にもしてほしくない。

家族の顔が頭に浮かび、
後を追いたい気持ちを吹き飛ばせた。


明日があるかは分からない。

今を大切に生きよう。

とにかく、生きよう。

全力で、いまを。
 
 

私の人生のターニングポイント。

ターニングポイントになったのではなくて、
じぶんでターニングポイントにした。

 
いつだって出来事の意味付けも捉え方も自分次第。

いまも未来も自分で創れるし
過去も変えられる。

わたしの生き方は変わったし、

いまでも自分の軸となっている。

だから、やっと言える気がする。

ありがとう、と。

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