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読書感想文#5 「人と生態系のダイナミクス ❷森林の歴史と未来」(前半)

またしてもお久しぶりの投稿となってしまいました。
一冊の本を長い時間をかけてようやく読み終えたので、今回はその読書感想文を記します。
本のタイトルは「人と生態系のダイナミクス ❷森林の歴史と未来」です。日本の森林面積は国土の約7割と言われていますが、その姿は時代によって大きく変動しています。それをこの本で詳しく学ぶことができます。

今回は主に「第1章 日本の森林の成り立ちと人間活動」について概要とその感想を記してみました。

日本の森林の特徴

<概要>
まず、日本の国土の特徴として挙げられるのが「温暖な気候」と「豊富な降水量」です。この条件によって、日本では放っておけば草木が成長して森になる恵まれた環境であるわけです。
また、固有種が多いのも特徴で、これは山脈が南北に走っているため、地球が氷河期になっても植物が南に逃げて生き延びることができたからだそうです。ちなみにヨーロッパはアルプス山脈が東西に走っているため逃げ場がなく、同じ時期に落葉広葉樹の7割以上が絶滅したそうです。

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こうやって、日本には多様性の高い森林景観を発達させることができたのです。

<感想>
恵まれた環境と一言で言いますが、これは本当にありがたいことです。世界には、草一本生えることもない国土もあるわけですから。そう考えると、真夏の草刈りも、冬の竹林の整備も、大変だけど本当に恵まれていると思わなければいけませんね。
そして、日本に固有種が多く多様性に満ち満ちているのは島国だからだとばかり思っていましたが、実は山脈の走り方に秘密があったとは知りませんでした。今生き延びている生き物達が奇跡の結晶のように思えますね。色んな事象が重なりあって、たまたま生き延びてきたのですから。

人による森林への影響

<概要>
縄文時代でも人は色々な形で自然に手を加えてきましたが、弥生時代に入り農耕が始まると人と森林の関係は大きく変化します。特に、低湿地を覆う森林(ヤチダモーハンノキ林)が急速に失われます。

千葉市にあるハンノキ林。こういう場所が水田に開拓されていったと思われます。

その次の大きな転機は仏教伝来だと考えられています。支配者や宗教の台頭により、木造建築が次々と建造され、山野から巨大な天然林が切り出されます。また、仏教伝来によって、動物を食す習慣が徐々に無くなり、これによって、森林からは食料供給よりも肥料や燃料の供給が主になります。

以後、道具の発達や人口増加などにより森林への圧力は徐々に高まります。江戸時代になると、いよいよ森林資材が枯渇し禿山となり、また灯火用にマツの根も掘り起こされるようになります。そうなると、土砂が河川に流出するようになり、そこは何十年もの間不毛の地となってしまう。
そうして、幕府は諸藩は、今で言う森林保護政策に乗りだします。植林をしたり禁伐区を設けたりして、森林管理を行います。また、将軍らが行う鷹狩りのため「巣鷹山」が設けられますが、これが一種の自然保護ゾーンとして機能していたようです。

江戸時代後半では、日本の人口は3000万人程で頭打ちとなりますが、これは鎖国により国内で得られる物資や自然だけで生活せざるを得なかったためと言われます。これが明治以降一転します。北海道で広大な水田が開墾され、肥料を海外から輸入しはじめたことにより、人口が急激に増加します。それにより、木材への内需は拡大してゆきます。残されていた原生林から多くの天然木が伐採されます。さらには、木材輸出も開始され、北海道の原生林は殆どが海外に輸出されて行きます。しかも安価に。
この急速な森林資源収奪を可能にしたのは、伐採・輸送技術の発達です。これまで水運に頼ってきた木材輸送ですが、明治に入って蒸気機関車が登場したため、より多く遠くへ木材を運ぶことができるようになりました。
当然ながら、急速な木材の消費は水源涵養機能や表土安定化機能を弱体化させます。明治30年には、森林の保護や育成に取り組まれるようになりますが、10年後には改定されてしまいます。この頃になると、ドイツの森林管理が模倣されるようになり、里山には杉などの人工造林が行われます。それでも国内の需要にはまったく追いつかず、明治末期になると日本はフィリピンやボルネオから木材を輸入するようになる。
さらに、二度の大戦で木材需要はより増加します。東南アジアからのラワン材は、日本が半分以上を輸入するようになり、日露戦争で獲得した樺太でも大量の木材が伐採されました。わずかに残っていた国内の森林も軍によって強制伐採が行われます。戦中を通じて行われた森林資源利用はまさに搾取であったそうです。

戦後、更に追い打ちをかけるように、復興に伴う建築ラッシュが到来します。これに対応するために行われたのが、拡大造林です。しかし、木材の成長には時間がかかるため、戦後まで残っていた東北や北海道の奥地天然林がここにきて伐採され、その跡地に針葉樹の苗が植えられました。これを可能にしたのが、トラックやチェーンソーの普及です。このような奥地造林地は、奥地であるがゆえに植林後の手入れが行き届かず、今ではササ等に覆われてしまったところが少なくないそうです。
この後の末路は多くの方がご存知であると思ういますが、安価な海外輸入材に対抗できずに人工林は放置されてしまっている。

<感想>
農耕が森林に影響を与えていることは容易に想像できたました、仏教の影響があるとは意外でした。現在からすると考えられませんが、当時の宗教というのは社会の構造や人々の生活を大きく変えるものだったということですね。そして江戸時代後期、森林管理の手法がとられ、国内の資源だけで一定の人口を保っていたというのは、とても興味深いですね。多くの生活物資を海外に頼りすぎている今、この時代から学べるものは多くあるように思います。
そして、明治以降の歴史を振り返って、人と森林の関係に多大な影響を与えているのは、技術の発展だということがよくわかります。話は逸れますが、私は最近コテンラジオというポッドキャストを聴いているのですが、その中の第一次世界大戦のシリーズの中で、鉄道輸送の発達によって大量の兵隊や物資を戦地に運ぶことができるようになり、これまでのヨーロッパの戦争とは桁違いの犠牲が出るようになった、ということを学びました。まさに、森林でも同じことが起きていたのですね。技術の発達によって人々の生活は確実に豊かになる一方、多くの搾取が起こる。これはどの時代にも当てはまることで、ここから私たちが学ばなくてはいけないことはたくさんあるように思います。
そして、忘れてはいけないのは、日本が東南アジア諸国から大量の木材を輸入してきたことで、多くの熱帯雨林が失われてきたということです。これは今でもパーム油という形で続いています。私たちが豊かな生活をしている裏で、搾取されている自然や労働力があるということを知っておくことはとても大切なことだと改めて感じました。

私達の暮らしを豊かにするためのパーム油を生産するため、熱帯雨林からアブラヤシ農園と姿を変えたインドネシアのスマトラ島風景(写真引用:https://www.wwf.or.jp/activities/basicinfo/2484.html)

長くなりそうなので、ひとまず前半として一旦締めくくりたいと思います。ここまで、人と森林の関係の歴史をみてきて感じることは、人は賢くなるにつれて自然に対してとても暴力的になっているということです。北海道の原生林にはおそらく樹齢数百年の樹々がたくさんあったと思います。それを短期間のうちに伐採し、しかも海外に安価な値段で売り飛ばしてしまった。。。この歴史に反省すべき点は多いにあると思いますが、それを自分らの世代は活かせているか考えないといけません。一方、なかには森林資源を持続可能な資源として管理する手法も歴史を通じて培われてきたはずです。後半では、日本の森林の現在の問題点とこれからについて続けますが、これら先人たちの学びを現在の状況にうまく当てはめて、森林が国土の7割という恵まれた環境をどう活かしていくかを考えてみたいと思います。

つづく!

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