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パターンにあてはまらないものへの関心

なんだか最近はますますもって日本全体的に馬鹿に成り下がっていっているようでならない

完全なる無関心無感動にちかいんじゃねーだろうか?
そんな気がするのは自分だけだろうか

それはどんなジャンルにもあてはまる 年配者はそもそも人生をあきらめ
若者はSNSなどで自分が関わる分野を完全に割り切ってそれ以外のことには関心をしめさない

そこでおもいあたるのが かのエハン・デラヴィ が数年前の何だかの講義でいっていた内容
『昔の日本と違い今の日本には「こらぁー!」がなくなった これやばいよ いまの日本は相当やばい 何とかしないとダメだ』
彼は 数年前のエハン塾動画でそう表現していたことがある

もちろん自分にもその傾向が全く無いか?といわれればそのかぎりではないが少なくともいえるのは 自分は好奇心旺盛な方だけにこの状況というのが非常におかしく感じる次第だ

しかしおそらくそれは エハン塾でのエハンの話をずっと聞いて そして自分のわずかな海外経験や友達の話など総合すると 日本がおかしいのではなく 人の趣向性が欧米人のそれにちかくなったのかもしれない
あ~ぁ いまおもうことは 自分などが高校時代(今から約30年前)までの風情や情緒があふれた世界はどこにいったのだろう?
現在の日本は、見た目は全くかわらないが ほんと風情や情緒というものはどこにいったのだろうか? まるで別世界だ

考えてもみれば今の30歳までの若者は 隣近所から街の人 その他親族間でも何かあればみんな家族のように集まり話 賑わう世界というのを知らないわけで その意味で日本人として 日本人たる由縁が発揮できないというのはあたりまえの話といえばそうなるだろう
そしてそれがわからないがために全ての面で善悪を厳密に定義づけしてマニュアル的倫理観に没頭してしまう
おそらく30~40年前 このような世界になることを想像できた人はどれくらいいるだろうか?

私が覚えている範囲で 一般庶民から海外も含めての有名人でそれが予言できた人は一人もみあたらない そのくせあの当時から
「これからは・・・・・の世の中になり日本が発展するには・・・」
とどれだけ多くのいい加減なことがいわれてきたか
つまり当時の社会で現在の社会風潮は、誰も予測できなかったということを我々は知らなければならない その智見で『今』も観察するべきである
今 マニュアルや業界別のマニュアルに沿ったかのような発言で未来を予測している者をみたら とんだペテン師とおもうべきだ
誰も未来は予測できないのだ
ちかっていうが今から30年以上前の社会で活躍の中心核を占める大人が もし仮に現在のような 無雑音人間社会=余計なことには一切無関心な現代社会をみせられていたら 血相を変えて社会議論をまきおこしどうしたらそれを防げるか? 必死にとりあったであろうとおもわれる

つまりは 常識がこれほど変わるものということは誰も予測できていなかったのだ、もし仮に予測できていた人がいたとしても そのような年配者はとーに世捨て人になっていただろう

おそらく今の20代、30代~40代初頭も含め私がこの記事でいっていることを厳密に理解できるものは少ないとおもわれる

是非も無し 自分も話しておきながら じゃどうすればいい? といわれた場合 即効性のある具体的解決策など一切浮かばない以上いうだけ無駄なのかもしれない・・・・・
どうすれば もっと昔のように人と人が積極的に会話を交わす社会をとりもどすことができるか?

思案する価値は絶対あるはずだ



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