新人賞をとらずに作家になる話

 さいきんTwitterで新人賞や原稿持ち込みの話題がやたら流れてきた。三月だなあとおもった(三月末締め切りの新人賞は多い)。
 ぼくは文学賞を応募していた頃、一次落ちとかふつうにしまくっていて、受賞はおろか最終候補になったこともなかったので「新人賞」にはわりとコンプレックスがある。なんか、「新人賞は受賞よりも〝最終候補に残りました〟っていう電話のほうがうれしい」というデビューあるあるなんかも存在するようで、ワイもいっかいくらい電話もらいたかったあなぁ〜みたいにおもう。でもいったん雑誌掲載とかされてしまえば、新人賞をとった/とってないは作品評価に関係ないっぽいのでいまではぶっちゃけどうでもいい……のだけど、「ああ〜やっぱ獲りたかったナァ……」みたいにたま〜にセンチメンタル全開になるのも否定はしない。

 新人賞は「とりあえず小説を書いた」以外になにもないひとが作家になるためにできる最もかんたんで、もっとも有効なアクションだ。ジャンルや賞によってまちまちだけど、数百〜数千の倍率をくぐり抜けて受賞した作品にはなにかしらの力があるとぼくはおもうし、その結果に至った運も含めて応募者の作家性が問われているようにもおもえる。
 だけど、「新人賞を獲らなければ職業作家になれない」というのも疑問だ。数百、数千の倍率をくぐり抜けるなんてほとんど運ゲーだし、だいたいそもそも小説なんていう書き手も読み手も未熟な世界でバチバチ争うことにそんな意味があるのか?
 ぼくはいろいろあって新人賞を獲らずに小説を書いたり文芸批評をやったりする仕事にありつけたのだけれど、ここでちょっと「新人賞をとらずに小説家になる」ことについて考えてみた。

どうすればデビューできるのか?

 作家になるには新人賞とるとか持ち込みとか、そういう話が先行しがちだけど、ぶっちゃけそれは表面上の問題でしかない。

ここから先は

3,713字
この記事のみ ¥ 130

頂いたご支援は、コラムや実作・翻訳の執筆のための書籍費や取材・打ち合わせなどの経費として使わせていただきます。