スベっる心理学53〜河川敷は不思議スタンダード編〜(長編小説)
(ヤバイって、ヤバイって。吉沢仮面、助けてぇ~)
元気は心の中で、来ることのない洋平に助けを乞うた。
「ゲンくん、どうしたの。一人で何を怯えているの?」
(その声は、何だよ)
元気は隣に座っている人物が誰だか分かると、ほっとしたように不満げな顔をした。
「何だよ、母ちゃんかよ」
元気は母親のほうに顔を向けると、心底、安心した口調で言った。
元気の母親である坂本多恵子(サカモト・タエコ)は、専業主婦であり、バブル期に話題となった“オバタリアン”という言葉がピッタリな雰囲気の女性である。
「何だよじゃないわよ。ゲンくん、いったい何をやらかしたの?」
多恵子は、少し怒ったような口調できいた。
「何だよいきなり、何もしてないって。やらかしたって、何でいきなりそうなるんだよ」
「それは、こんな所に一人で座って、怯えているみたいだったから」
「無言で隣に密着されたら、誰だってそうなるって」
「それもそうだね。驚かせて悪かったわね」
「それより散歩でもしに、あ、犬だ。どうしたんだって、その犬?」
元気は、母親の足元にいる子供の豆柴に気が付くと尋ねた。
「アキコおばさんちの犬に子供が産まれたから、一匹譲ってもらったの」
「アキコおばさんって、母ちゃんもおばさんじゃないか。いつから飼い始めたんだって?」
「二週間ぐらい前から飼い始めたの」
「そうか、カワイイって。名前は何ていうの?」
「元気と拓也(タクヤ)から一文字ずつとって、“ゲンタク”にしたんだよ」
拓也とは、元気の二つ年下の弟のことである。
「なんで犬の名前にオレ達兄弟の名前を合わせるんだよ。勘弁してくれって」
元気は、ほとほと参ったといった口調であった。
「ところで母ちゃん。手に持っているのは何だよ?」
「これかい。ゲンタクがウンチした時のための袋と、中に入っているのはスコップだよ」
「違うって。右手に持ってるやつだって」
「こっちのほうかい。フリスビーだよ。それ!」
多恵子はそう言うと間髪をいれずに、手首のスナップを利かせながらフリスビーを放した。
するとゲンタクは、一目散に走り出して飛んでいるフリスビーを追いかけた。
しかし、惜しくも追い付くことが出来ずに、先にフリスビーは地についてしまった。
ゲンタクは地面に落ちたフリスビーを口に咥えると、あたかも成功者のごとくの振る舞いで戻ってきた。
帰ってきたゲンタクは、誇らしそうな息づかいで、フリスビーを多恵子に渡そうとする。
「良くできました。頑張ったね」
多恵子は、我が子を可愛がる時のような、優しい眼差しと口調でそう言った。
多恵子はゲンタクからフリスビーを受けとると、優しく耳の付け根あたりを撫でた。
ゲンタクは嬉しそうである。
「良くできましたじゃないって、失敗だろ。母ちゃん、甘やかしたらダメになるって」
元気は、冷静な口調で母親に言い聞かせると、フリスビーを受け取った。
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