スベっる心理学・最終話〜坂本クエストの向かう先〜(長編小説)
後日、元気は詩織と会って話をする機会を得ることが出来た。
二人っきりでは心配ということで、洋平と麻衣が同行するという条件付きではあるが……。
四人は土曜日のお昼時に、予約しておいたレストランの個室で待ち合わせをし、全員そろったところで、雑談を交わしながら食事をしていた。
元気はこれまでのように、詩織を前にしても緊張することなく自然体であった。
服装も普段着のスウェットにカーゴパンツであり、話す素振りも会話の内容も、普段洋平と二人で話す時のようである。
そんな元気の振る舞いに詩織の警戒心は徐々に解けていったのか、詩織のほうからも元気に話しかける様子が見て取れる。
四人は時間が経つにつれて、まるで昔からの幼なじみのように、和やかな雰囲気になっていっているようである。
だがそのことが災いしてか、元気は肝心なことを詩織に切り出すことが出来ずにいる。
料理も残り少なくなり、終わりの時間が刻一刻と迫っていた。
「ところで桜井さん、少しの間でいいので、ロマンス映画風な台詞を聞いてくれませんか?」
元気はなるべく良好な流れから逸れないようにと、自然な感じを心がけて、なんとか尋ねることが出来た。
「映画のロマンチックなワンシーンを生で聴けるなんてワクワクします――どんな話ですか?」
詩織は即座に、冗談交じりにそう返答すると、わずかな間の後、元気の言おうとしていることに気が付いたのか、顔つきが晴天から曇りへと変わっているように見受けられる。
「坂本さんの気持ち聞いてあげて下さい。お願いします! 南沢さん、ちょっとトイレまで付き合ってくれませんか?」
「――女子高か! そうですね、行きましょう」
洋平は二度、二人に頭を下げてお願いをすると、麻衣とその場を離れた。
個室は、元気と詩織の二人っきりになった。
「……あの……あの! 僕は桜井さんのことが大好きです! 僕とお付き合いしてください! お願いします!」
元気は出だしこそ躊躇したが、その後は何の迷いもなく、いきなり自分の気持ちを詩織にぶつけた。
そう、これが恋に仕事に不器用な男、坂本元気なのである。
「……ごめんなさい」
詩織は困惑したような表情を見せながらも、きっぱりとした言い方で断った。
誰もが予想出来たであろう、当然の答えである。
「そうですか、分かりました。ありがとうございました!」
元気は一流スポーツマンのような、爽やかで紳士的な言い方であった。
元気はこれ以上深追いすることはせずに、潔く引き下がることに決めた。
元気は魂で感じていた。
恋だけではなく、ありとあらゆる人と人との関係は、気遣い、その場、相手に応じた適切な会話、言葉、リアクションを続けなければ、利害関係がない限りは長くは続きにくい。
会話の上手な者が得をして、そうでない者は損をする。
場の空気を読める者が得をして、そうでない者は損をする。
つまるところ、頭の良い者が得をして、そうでない者は損をする。
元気は思う。人と人とが深く付き合っていこうとするのは、大変だなぁと。
お互いに信頼し合える仲になったとしても、それを維持していくためには、努力をし続けていく必要がある。
(人からどう思われようが、オレはオレらしく生きるって! 自分の心を大切にして、オレはオレらしく生きるって!)
元気は笑顔である。
詩織と出会ってからの一番の笑顔である。
元気は目の前にある、封の切られていない布おしぼりを左手に持った。
そして、座ったまま前後に腕を振り始めた。
「アンカーにバトンが渡りました。坂本元気、光もどきのスピードで二位以下をどんどんと引き離して行きます。――おっと坂本どうしたんでしょうか。何やら走りながら左手に持っているバトンが気になっているようであります。どうしたことでしょうか、坂本、ゴール目前というところで立ち止まってしまいました。二位以下の選手たちも不思議そうに坂本のほうに寄って行き足を止めました。――何でしょう、坂本が左手を私たち実況席のほうに向けております。カメラを坂本の手もとにズームアップしてもらえますか。……あれ、これはバトンではありませんねぇ。これはもしかして――間違いありません。テレビの前の皆さま、落ち着いて聞いて下さい。彼は坂本元気などではありません。彼の名は、“オシィ! ボォリィ!”」
元気は、スポーツ解説者風にそう言い終えると、その場を立ち上がった。
「そう、ボクの名は、“オシィ! ボォリィ!” 詩織さん、お元気で」
元気はそう言うと、手に持っているおしぼりをテーブルの上に置いて、その場を後にした。
店の出入口付近の長椅子には洋平と麻衣が座っていて、こちらに向かって走って来る元気に顔を向けると――。
「南沢さん、今日はありがとうございました。吉沢、行こうって!」
「えっ?」
元気は、キョトンとしている洋平の手を取ると、二人は店を後にした。
「……坂本さん、何かあったんですか?」
「あった。オレの正体がバレたんだって」
「正体、ですか?」
「そうだって。吉沢、オレの名前は?」
「――坂本元気です」
「それは変身前の仮の姿。オレの正体、オレの名は、“オシィ! ボォリィ!”」
「……」
「オレの名前は何かな? そして吉沢の正体は何だって?」
「はい、坂本さんの正体は“オシィ! ボォリィ!”です。そしてボクの名は……そう、“テェヌゥ! グィ!”です」
「――吉沢、何言ってるんだって。吉沢は吉沢だろ。それに先輩のこと“オシボリ”ってなんだよ」
「もぉ、坂本さんったら――あっ、お支払いはどうしたんですか?」
「――まずい、忘れてたって。吉沢、引き返そう」
そう、これが“詰めが甘い男子”、坂本元気なのである。
二人は気まずそうに、詩織と麻衣を残してきた店へと戻った……
……二年後のある日の休日、元気と洋平は河川敷に来ていた。
二人は芝生の上に向かい合わせに立って、何やら打ち合わせをしている。
「今日は雲ひとつない晴天で、絶好の合体日和だって」
「そうですね――本当にやるんですか?」
洋平は、あまり乗り気ではない様子である。
「何言ってるんだって。巨大な怪獣みたいなのが現れて暴れ出したら、人間一人の力じゃ太刀打ちできないんだって」
「――二人で力を合わせれば対等に戦えるってわけですね。そういった事情なら仕方ありません。打ち合わせ通りにやればいいんですね」
「分かってくれたかって。それじゃあいくぞ! せ〜の!」
元気が掛け声をかけると、二人は同時に「サァカァモトォヨォシィザワァ」とぎこちなく言い、横一列になった。
そしてお互いに手をつなぐと、二人はそのまま逆方向に、真横に倒れ込むようにして片手を地面に着けた。
「……これって、ただの組体操ですよね」
「そんなこと言うなって。合体だって、強くなったんだって」
「強くなったって、これじゃ動けないじゃないですか。ただのサンドバッグですよ」
「――ヨォシィザワァ〜!」
元気は地面に着けていた左手を離すと、そのまま洋平の胸に飛び込んだ。
洋平は、その勢いで芝生の上に仰向けになった。
「やめてくださいって! 勘違いされます!」
「ヨォシィザワァ〜!」
洋平は言葉とは裏腹に、二人とも楽しそうな笑顔である。
洋平の言うとおり、これは第三者が見たら親友以上の関係だと思うのかもしれない。
結局、元気は詩織と付き合うことは出来なかった。
あれから詩織は、元気ではない他の男性と出逢い、一年ほど交際した後に結婚をし、今は幸せな新婚生活を送っている。
あの日から二年以上が経ち、その間、元気と洋平は女性と交際することもなく、会社が休みの日はいつも二人でつるんでいる。
元気は心の底からの幸せを感じている。
だって、最高の友と出逢うことができ、共に過ごせるのだから。
「ヨォシィザワァ〜!」
「分かりましたから! そろそろ昼食にしますか」
「うん」
「その言い方、誤解されますから!」
元気と洋平は、一等星よりも光り輝く笑顔であった。