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浜崎あゆみさんのファンだと言えなかった過去。

皆さんは実は好きだけど人に言えないことってないだろうか。
食べ物だったり、行為だったり、人だったり。

わたしは中学生の頃、歌手の浜崎あゆみさんが好きだった。当時は歌番組が毎日のようにやっていて、彼女がCDを出せば全ての番組に出演しているというくらい日本では人気があった。

わたしは彼女のCDを近所のツタヤから借りてきて、MDに録音して聴いていた。(もしかしたらZ世代と呼ばれる人には何を言っているのかわからないかも知れない。)

CDを買うこともあったがそれはたまにだった。他のアーティストのCDを買う頻度と同じくらい。なぜなら、わたしは”浜崎あゆみのファンである”ということを親や友達に言ってはいけないと思っていたから。

「いや、全然言っていいし、ファンの方に失礼だろ」って思う人もいるだろう。でも周りには言えなかった。それはセクシャリティとか自分の固定観念とかに起因していると思う。

どういうことかと言うと、自分はゲイであり、そのことは周りにはバレてはいけないことだと思っていた。浜崎あゆみさんが好きな人は、女性やセクシャルマイノリティの方に多い気がなんとなくしていた。

彼女はマイノリティに対するメッセージを発信していて、そこが支持されている部分も大きい。当時(2000年代前半)はそこまでそういう一面を強く表現していなかった気がするけど、彼女から感じるメッセージ性を敏感に感じ取っていたのだと思う。

そのため当時のわたしは、浜崎あゆみが好きと言えばそれは自分がゲイであると言っていると同じような気がしていた。だから誰にも言えなかった。


男の子なのにセーラームーンが好きだったり、女の子なのに仮面ライダーが好きだったり。でもそれを好きなことはダメなような気がして、誰にも言えなかったと言う人もいるような気がする。”〜なのに”と言う言葉は本当に良くない表現だと思う。

周りの目を気にして、世間に求められている好きに応えていくことになんの意味があるのだろう。それを続けていくと、自分が本当に好きなものは何かわからなくなってしまう。好きなことを好きと言えなかった経験は良くない影響を与えるとしみじみ感じる。

それからわたしは、大学生くらいまでは浜崎あゆみさんの曲を聴いたりしていたが、結局誰にもそのことは言わなかった。最近は聴く機会が少なくなったが、今でもYouTubeで彼女の動画を夜な夜な観たり、活躍していることを知ると嬉しい気持ちになる。まだ彼女のファンであることには間違いないが、「好きなアーティストは誰?」と聞かれると「宇多田ヒカル」と無難(?)な回答をしてしまうことがある。(宇多田ヒカルさんが好きなのも間違いではない。)

正直に自分の好きなものを好きというのは案外難しいのかも知れない。逆にいうと、相手に好きなものを聞くというのは相手を知る上ですごく重要なことなのだろうな。当たり前のことかも知れないけど。


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