どうして「視野」を広げるだけでは不十分なのか?~不確実性時代のキャリア志向
※誤って記事が削除されたため、2020年8月22日の記事を再掲致します。
年齢を重ねるにつれ、キャリア相談を持ち掛けられる機会が増えてきた。
最近のコロナ禍で先が見えない状況も続いており、思い切った舵を切るか迷う人も多いようだ。
多様性の時代、不確実性の時代と言われて久しい。
この30年。世の中は大きく変わった。次の30年はもっと大きな変化があるだろう。
一方で、昭和後期から続く”キャリアの在り方”から離れられずに現実との狭間で悩む。
世の中が変わっても、昔ながらのキャリア志向は中々変わらない。
就職活動中の大学生や高校生を見ていると、まわりの大人のアドバイスとの間で葛藤している。
就職活動に悩む大学生。進路に悩む高校三年生。
周りの大人たちからのアドバイスに翻弄されている。
旧来のキャリア志向を変えないまま、変化した現実社会と向き合い、葛藤する。
僕自身、大学時代に先生達、先輩たちが語る"キャリア論"に翻弄された。
違和感は感じながらも、「そういうものだ」と疑問を持たず、納得させていた。
その後、失敗を繰り返しながら、この不確実性の高い時代に沿った、キャリアの築き方が見えてきた。
キャリアへの見方が変わると、自然と葛藤は消えていった。
同時に、好きな事が仕事になり、仕事が楽しくなり、自然と自分の市場価値も上がっていく。
- 不確実性の時代
- 多様性の時代
- VUCAの時代
- 先が見えない時代
コロナを機にキャリアを再考する人も、これから新しいキャリアを進む人も、この時代に幸せにキャリアを進むための参考になればと思う。
1.不確実性の時代
「先が見えない時代」と言われ始めたのはいつだろう。
僕が大学生だった20年前には定着していたから、もっと前から言われているのだろう。
最近は「VUCAの時代」なんて呼ばれる。
VUCAとは、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を並べたもの。
今日の世界の状況を表す4つの英単語の頭文字を繋げたものだ。
これまで有効とされてきた問題解決方法、モデルなどが、どんどん機能しなくなっている。
「先の見えない時代」「不確実性の時代」「VUCAの時代」
どの言葉も、将来の見通しが立たなくなっている。ことを意味している。
将来の見通しが立たないのに、20-40年先を見据えたキャリアのアドバイスは以前変わらない。
いまだに「20年後のなりたい自分をイメージして逆算でキャリア計画を立てなさい!」とアドバイスされる。
世の中の変化が予測できない時代になった。いうのに、「20年後の目標を立てなさい。目標に向けて、人生の時間をBETしろ(賭けろ)!」と言われる。
- 30年後の人口予測すらズレるのに、
- 20年後の世界経済の覇権国を当てる事すら難しいのに、
- 5年後の業界勢力図を当てる事すら難しいのに、
- 3年後の日経平均株価を予測する事すら不可能なのに、
- 来年、オリンピックが開催されるかどうかすら未定なのに、
20年後の自分の姿を予測しろ!など無理な話だ。
まして、社会で働いた経験のない学生に求めるのはイジメに近い。。
まだ「こんなん無理だから考えても仕方ない」開き直ってしまえればまだよい。
が、多くの人は、この無理難題と向き合い、不毛な時間を過ごし、無駄に精神エネルギーを費やしていく。
2.無理してキャリアを計画する事の無意味さ
「10-20年後の自分の姿を想像してキャリアを逆算しろ!」
このアドバイスが無意味な理由は二つある。
(1)世の中の価値観変化を予測できない。
我々は、数十年先の社会を予測することなど出来ない。
かろうじて、専門家が叡智を集めて、限定した分野の来たるべき複数のシナリオを描くのが精いっぱいである。
ざっと30年間を振り返っても。社会の価値観は変化を続けている。
それぞれの出来事を通して、世の中の価値観は大きく変わっている。。
社会の変化が、個人のキャリア形成に与える影響は想像以上に大きい。
仕事とは、誰かの役に立ち、対価を頂くことだ。
”誰か”は社会の一部であり、仕事は社会の状況から相対的に決まる。
世の中の価値観の変化を加味せずに、20年後の個人のキャリアを予想する事にどれほどの意味があるのだろうか?
(2)個人の価値観変容(成長)はより予測不可能
「(1)社会の価値観変化」と比べて、はるかに大きな影響は、自分自身の価値観の変化だ。
5年後、10年後、自分がどう成長しているか?など、どうやってイメージするのだろうか?
今からその姿がイメージ出来てしまったら、それは”成長していない”と同じではないか?
成人の成長には2種類あるという。
成人発達理論の大家、ロバート・キーガン氏、知性発達科学者の加藤洋平によると、
成人の成長には、成長には「水平的な成長」と「垂直的な成長」の2種類があるという。
水平的な成長とは、知識やスキルを獲得するような量的な成長
垂直的な成長とは、人間としての器自体が広がって、認識の枠組みが変化し、人間性が深まっていくような質的な成長
水平的な成長(スキルや知識の獲得)はイメージしやすい。
- 仕事で英語が使えるようになりたい。TOEIC900点を目指す。英語で交渉できるようになる。
- プログラミングを習得したい。PythonやTensorFlowを使って、機械学習、ニューラルネットワークを駆使したい
- エクセルを使って分析できるようになりたい。
- 弁護士資格を取って弁護士になる。
- 公認会計士資格をとって、会計監査人になる。
数年後の姿は想像しやすい。。
一方で、人生を左右するのは、圧倒的に垂直的成長だ。
認識の枠組みが変化すれば、スキルや知識の獲得対象が変わる。
- これまで価値を感じていたものに価値を感じられなくなる。
- これまで価値がないと思っていたものに、光があたる。
ロバート・キーガン氏は成人発達理論の中で、5段階の成長プロセスを定義している。
このステップを上に上がるごとに、世界の認識がガラッと変わる。
人は日々様々な固定概念の中で生きている。
成人発達理論にある人間的な成長(人間力の成長)に限らず、ひとたび固定概念がアップデートされると、
人生観、人生の目標、生きる意味、人生の優先順位などがガラッと崩れて再構築される。
この垂直的な成長こそが、価値観のアップデートではないか。
価値観のアップデート(垂直的な成長)で、視野が広がり、視点が増え、視座が高まる事は、水平的な成長とは比べ物にならない変化を引き起こす。
価値観のアップデートの特徴は、成長前には成長後の姿をイメージできない。
できるわけがない。
変化した後の価値観を想像できていたとしたら、それは価値観の変化とは言わない。
こんな風に価値観が変化するかな?という方向性すら、価値観変化前から想像をつける事は難しい。。
将来の自分の価値観のアップデートを加味せずに、現在の自分の価値観だけで5年後、10年後、20年後の未来の自分を描くことにどれだけの意味があるのだろうか?
仮に、5年経っても、5年前の自分と同じ価値観で生きていたとしたら、「私は成長していないのか?」と疑った方がいい。
価値観は変化してしかるべきだし、むしろ、変化を促すような行動をとり続ける必要がある。
水平的成長(スキルや知識の獲得)と比べて、垂直的成長は軽視される。
人は分かりやすいものに飛びつく。
3.社会も変化し、自分も成長する。
社会の年々大きく変化し、社会の価値観も変容していく。
自分個人も日々成長し、人生の価値観自体がアップデートされていく。
社会も変わり続け、自分も成長し続ける中で、20年後のキャリア目標を設定しろ!とは土台無理な話だ。
最近、幸福学やシステムデザインを研究する前野教授が、IKIGAIベン図の投稿を上げていた。
この4つは、社会の変化によっても、個人の成長によっても変化する。
今の時代には声がかからなくても、5年後には引っ張りだこになっているかもしれない。
今は重宝されていても、10年後には見向きもされない職種もあるだろう。
今はお金にならない活動も、10年後には稼げる職業として確立されているかもしれない。
今は花形と高収入な職業も、10年後にはロボットやAIにとって代わっているかもしれない。
個人の成長も
・今できなくても、5年後には知識・スキル・経験を身に着け、専門家になっているかもしれない。(水平的成長)
・今は必要不可欠なスキルと言われている事も、10年後の世界では自分でやらなくても良いかもしれない。
・これから出会う様々なご縁、出会い、経験を通して、数年後に抱いている世界観は全く違うかもしれない。(垂直的成長)
僕自身を振り返っても、価値観のアップデートの連続だ。
自身の経験から3つほど紹介したい。
その都度、社会情勢も変化すれば、自分のやりたい事も好きな事も変わっていく。
また、自分自身が変わらなくても時代が変わる事もある。
そう。
世の中が変われば、時代が変われば、
相対的に得意な事も(苦手な事も)変わる。
求められている事も変わる。
様々な経験をして、色々な良き出会いを経れば、
自分のやりたい事も変わる。
好きな事も変わる。
そして、成長すれば得意な事も当然変わる。
何十年も先の未来を予測して人生の目標を定めて計画する事は無意味だ。
「なるほど。計画しても無意味ならば、無計画に行き当たりばったりの人生を進めばいいのか??」
そうではない。。
4.計画された偶発性
Planned Happenstance(計画的偶発性)という理論がある。
教育心理学者であるスタンフォード大学のジョン・D・クランボルツ教授により提唱された理論である。
というものだ。
そう。計画できない事を無理して計画する必要はない。
クランボルツ教授は、偶然が人生を左右するならば、その偶然を計画に入れ込もう。と提唱している。
僕がこの理論に触れたのは9年前、ケニアの農村での生活を終えて日本に帰国した頃だった。
電気水道のないマサイ族の村での9か月のボランティア経験は、僕のこれまでの固定概念を大きく覆した。
庭にシマウマやキリンがお目見えする生活から一変、翌週には六本木の高層ビルの中でエクセルに向き合っていた。
あまりのギャップに頭がついていかない。。
ケニアに行く前といった後では見える世界が全く違う。(価値観が大きく変化している。)
当然、今後のキャリアについても、大きく悩む事になる。
当時、キャリア相談を持ち掛けた友人から紹介されたのが、この”計画された偶発性”に関する記事だった。
価値観が大きく変わったにも関わらず、以前の価値観でキャリアに向き合う。上手くいくわけがない。
価値観の変化は成長に必要な事で喜ばしい事だ。
であれば、今後は意図的に価値観の変化を作り出していこう。
キャリアステップとは、価値観をアップデートし続ける事と考えている。
適切に価値観をアップデート出来れば、キャリアは前に進むし、人生は豊かになる。
価値観がどのように変化するか?は事前に想像できない。
ケニアに行く前に、「ケニアに行った後には、考え方が変わっているといいな。」と妄想していた事の何倍もの変化があった。
価値観の変化の先は読めずとも、価値観の変化が起こりうる状況を作り出す事はできる。
より多くの状況を作れば、価値観のアップデートを促す機会は増える。
計画された偶発性とは、「計画的に(意図的に)、価値観のアップデートを促す状況を作り出す事」ではないか。
5.価値観をアップデートしよう!
前置きが長くなった。
では、どうすれば、価値観のアップデートが生まれやすい状況を作れるのか?
試行錯誤の結果、2つのポイントに気づいた。
①目の前の事に一生懸命、夢中になって取り組む。(深める)
②普段関わりのない人や分野と繋がる。取り入れる。(広げる)
ポイントは両方を同時にやる事だ。
片方だけやっても上手くいかない。
①深めるだけではダメ
こちらはイメージしやすい。
①深める事だけやっても、その分野には精通するが視野が広がらない。偶発性は生まれない。
何十年も同じ会社に勤めていて、同じ会社の人とだけしか付き合いがない。
特定の分野では専門家として認められているが、専門分野以外での繋がりはない。
専門にしていた分野にイノベーションの波が押し寄せたら、業界と一緒に廃れてしまった。
これでは偶発性は生まれない。
価値観のアップデートの確率は上がらない。
②幅を広げるだけでもダメ
幅を広げる事自体は有用だ。
「新しい視点を得る」「視野を広げる」ために、異業種の人、関わりの少ない人と出会おう!専門外の分野にも触れよう!
よく言われる事だ。
外にばっかり目を向けていれば視野が広くなり、未知の分野に触れて、価値観のアップデートが起きそうなものである。
しかし、幅を広げるだけではダメなのだ。
いくら幅を広げても、①の深みがなければ、価値観のアップデートには繋がらない。
目の前の仕事を疎かにした状態で、いくら偶発性を求めて異業種の人と出会っても、価値観のアップデートなど起きない。
あなたの周囲にこういう方はいないか?
一見、賢くて、知識があり、何でも知っていそうなのだが、話していても面白くない。。
質問を繰り返すと、その人なりの考えや意見が出てこない。
深みがない。。
当事者として自分の活動(本業)に向き合いきれていない。
だから、セオリー通りにいかない事、不合理への対処を経験していない。
悩みながらも、自分なりの落としどころを見つけて進んだ経験がすくない。
ゆえに、モノゴトへの解像度が低い。
深みがない状態で、新分野に触れても、己の価値観を揺さぶられることはない。。
多少揺さぶりが生じても、己の過去を否定し、価値観を壊して、再構築(アップデート)するには至らない。。
では、具体的に①深みの得方、②幅の広げ方について考えてみよう。
①目の前の事に一生懸命、夢中になって取り組む。(深める)
目の前の事に一生懸命になるとはどういうことか?
一例を挙げよう。
『今の会社は繋ぎです。ここで3年経験したら、大学院にいって修士の卒業証書を得て、望んでいたキャリアに進みます。』という方に出会う。
今の仕事は繋ぎと思っているから、お金やキャリアのためと消極的にやっているか、低評価がつかない程度に卒なくこなしているか。
困難にぶち当たっても、何とか解決してやろう!というモチベーションには繋がらない。
「貧乏くじをひいたな」と、自分が割を食わないようにうまく対処しようと考える。
「私の責任が問われないように、切り抜けよう」と考える。
この発想から、①の深みを得る事はない。
3年後も今と同じ事を言い続ける。
向き合ってこなかったから、どれだけ他所の世界と触れあっても、価値観のアップデートは起きない。
他人の言葉を最もらしくリピートする事には長けても、自分の苦悩から紡ぎ出た言葉では語れない。
自社や自部門、上司への批判は上手くなっても、自己成長はしていない。
「あなたの会社はいいね。うちの会社はダメ。」と環境のせいにする。
隣の芝生がいつも青く見える。
本当はどこも青くて、どこもグレーなのに。。
「この3年間は繋ぎです。」と割り切った態度で向き合うよりも、
「よし。全力で取り組んでみよう!」と目の前のご縁に感謝し、そこでやりがいを得て進んだ方が成長に繋がる。
目の前の事に本気でぶつかれば、当事者として向き合えば、本質が見えてくる。
本気で向き合った中での苦悩や模索が、自分の価値観を揺さぶる。固定概念を覆す。
その経験を通して、よその世界と触れ合う。
いつもと違う視点でモノゴトを捉える。
そこで、少しだけモノゴトの真理を垣間見る。
それが価値観のアップデートに繋がる。
まずは、がむしゃらに目の前の事に向き合うでも悪くはない。
が、根性一辺倒で、上司や先輩が用意したタスクを必死でこなしていても、価値観の変化には繋がらない。
他人の作ったプロセスに盲目的に従っている状態だ。
ポイントは、”当事者”として結果に責任感を感じて取り組んでいるか?だ。
当事者として取り組むとモノゴトへの解像度が上がる。
解像度を上げるとはどういうことか?
巷にはたくさんの本や情報が溢れている。
マーケティングとは何か?、リーダーシップとは何か?、営業のコツとは何か?・・・
売れている本、バズっている記事、非常に分かりやすい。
分かりやすくて当たり前だ。
他人に伝える過程で、体験を整理し、ストーリーを再構築する。
整理の過程で、体験を経ないと伝わらないシミジミした現場感はそぎ落とされていく。
そのノウハウ、プロセス、概念、真理を得るまでに重ねた無数の葛藤はそこには表れない。
そのそぎ落とされた葛藤を自分で経験している事こそが、解像度の高さに繋がる。
著名人が言った言葉、本に書いてあった物語、誰かが言っていた事ではなく、自分の経験で語る事が解像度の高さに繋がる。
②普段関わりのない人や分野と繋がる。取り入れる。(広げる)
さて、次は幅の広げ方だ。
トップ経営コンサルタントであり、ビジネス・ブレークスルー大学学長の大前研一氏は、3つを変えれば自分を変えられるという。
普段自分が接しないような場所へ行き、人と出会い、時間を過ごす。と自然と変わる。
最初の一歩は、単に新しい事にチャレンジしたり、合ったことない属性や業界の人と会っておしゃべりするのでも良い。
まずは行動してみる。これだけで全然違う。
僕の事例だが、
もう一つ、「会いたいです。」と言ってくださる方のお誘いは、出来る限りお会いするようにしている。
できれば、一緒にやるのが良い!
新しい人と会って話をするだけでも良い。
欲を言えば、単におしゃべりをするだけでなく、一緒に何かに取り組めると良い。
一緒に何かを作り上げる経験をする。
僕の例を挙げれば
この経験が、僕の価値観を大きく変え、起業に踏み切る一つのきっかけになった。
共にイベントを企画すれば、意見もぶつかる。衝突も生まれる。
その衝突を経て、固定概念が覆される。
まとめ
無理して何十年も先のキャリアを描こうとしなくていい。
人生はもっと多様だ。
自ら人生の幅を狭める必要はない。
もっと自分自身の価値観の変化を楽しもう!
目の前の事に夢中で取り組み、
好奇心を持って新たな接点を広げれば、
自然と道は拓けていく。
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