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切ない消費社会

 私はミシンが好きだ。もちろんミシンを使って物を生み出す過程も好きだけれど、街中でミシンの展示を見かけると、つい立ち止まり引き寄せられてしまう。
 ある日古道具屋の店頭に置かれていたミシンと出会い購入をした。そのミシンの調整をしようとミシンの修理屋さんに来てもらった時に聞いた話。


 私のそのミシンはR社のもの。R社は1980年代に倒産をしているようだが、ミシンの部品は金属が用いられ、部品が壊れたり故障したりすることも少なく、調整によりしっかりと蘇るという。
 永年ミシンの修理に携わってきたというその修理屋さんがいうには、1980年代のバブルの時代、R社は金属の部品にこだわって生産を続けたという。片や金属の部品を安価なプラスチックの部品に代替し、それまでよりも安価な価格で消費者に提供をしたメーカーは売り上げを伸ばした。プラスチックの部品は当然壊れやすい。さらにモデルチェンジを続けることにより部品が壊れた時には消費者は買い替えるしか手段がなく、当然売り上げは伸びる。
丈夫で長持ちをするミシンにこだわったR社のやり方と、プラスチックの部品に代替して消費を促したやり方。
 R社について少し調べてみると、倒産の理由が「電子化に乗り遅れた」という表現も記されており、一消費者の私にはすべての真相を知り得ることはできないが、時を経て私の手元にやってきたミシンは、実際に生き生きと蘇っている。

1980年代、私は小学生だった。ある日突然さよならも言わず転校し、そのまま会えなくなった友達がいた。彼女の家はR社のミシン販売店を営んでおり、突然のR社の倒産で引っ越しをすることになったと、しばらくして風のうわさで聞いた。

丈夫で長持ちが倒産し、壊れやすい消費が生き残る。
当時さよならも言えなかった友達の顔が思い出され、切ない。

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