見出し画像

呼び起される遺伝子

長女は小学生の時にK-popから韓国の文化に親しみを持ち始め、気づけば韓国語を学んでいた。
親の私から勧められたり強制されたりでするでもなく、自ら。韓国語を全く知らない私には、彼女が何を読み書きしているのかさっぱりわからなかった。
中学校では本格的に英語の授業も始まったけれど、彼女は英語にはほとんど関心を持たず、いつも韓国の本や雑誌を見ていた。
周りからは韓国語の前に英語を勉強すべきとか時々言われた。でも、今でこそ世界共通語は英語だけど、20世紀初頭に皆がこぞって勉強したのはドイツ語だったというから、主要とされると言語も移り変わっていくのだろうと、それよりも彼女の内にある興味を大切にして見守ることにした。


彼女がお腹にいる時から何かと縁があり見守ってくれる私の友人がいる。
その友人がらみの不思議な偶然が重なり、長女は韓国語を学ぶために福岡の親元を離れ長崎の対馬高校に進学をすることになる。そこには韓国語に特化して学べるクラスがあった。

対馬は福岡市の博多港からフェリーで4時間。
韓国釜山と九州の間に位置し、古くから韓国外交の要所としての役割を果たしてきたという。
韓国について学びたい彼女の気持ちを後押ししてくれる絶好の環境がそこにはあった。

それまで、私達家族にとって対馬は縁もゆかりもない土地だと思っていた。

そして3年間の高校生活を終え、彼女は韓国釜山の大学へ進学することになる。パスポートを取得するために戸籍謄本を確認する機会があった。その時すでに亡くなった彼女の祖父(私から見ると義父)の出生の届出の地が対馬であることを初めて知る。
縁もゆかりもないと思っていた対馬での意外なルーツだった。

そしてこの夏、親戚からさらに意外な話を聞くことになる。彼女の曾祖父の出生地は釜山だと。さらにその前の高祖父は、博多と釜山を船で結ぶ運輸を生業としていたという。残念ながらその事業が立ち行かなくなり、最後は博多と釜山の経由地点の対馬に身を寄せ生涯を終えたのだという。

この話を聞いて、彼女が対馬を経由して韓国へ渡ったのも偶然ではなかったと思えてしまった。
彼女の本能的というか動物的な興味の赴くままにその方向へと向かわせてきたけれど、それは理屈で説明できない、彼女の中にある何かが呼び起されるような感覚にみまわれる感触がある。
なにかに導かれていると感じてしまう。

現在彼女は大学3年生。現地でたくさんの友人もでき、意欲的に大学生活を送っている。コロナにより博多~釜山の渡航船もストップし、留学を継続するのに困難を感じる状況はもちろん増えた。
それでも自分の中の呼び起される遺伝子を信じて進んでいって欲しいと思う。


そして、戸籍に記された曽祖父の生まれた釜山の海辺の町に、彼女のガイドでいつか訪れたいと思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?