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「ママの子供の頃の夢は何だった?」

この頃よく聞かれる。13歳の次女にとっては一大事。

子供の頃、特に憧れていたアイドルも居なかったし、将来の夢を公言したのは小学校の卒業文集のみ。それも、みんなの書いていた作文を覗き見て、似たような文面を書いてみただけ。隣の男の子は「有名なサッカーチームに入って、サッカー選手になる」という感じだったから、私も「有名なオーケストラに入る」みたいなことを書いたと思う。

その頃は、オーケストラの「お」の字も知らない女の子。自分でもよく言ったと思うのだが、後々10年もたたないうちにオーケストラの仕事はあった。でももっと、もっと、と欲が出て、更にお給料の良い、みんなの憧れるオーケストラに入らなければならない、、、という夢に縛られていた。それからまた10年近くも。

でもそれは初めから私の言葉で言った夢ではない。みんなが望むだろうという夢をちょっと真似して言ってみただけ。「いい子」の習慣から来る、周りの期待に応えようとする言葉。ただそれだけだ。そして、それに気がついたある日、それを夢だと思うことをやめた。夢に縛られるのをやめた。

大人になった今でも「夢は何?」と問いかけられることがないわけではない。

本当に望んでいることは?「私が私にできること、可能性と呼ばれる物を、全部やってみたい」という夢。夢の呪縛から解き放たれた後、または夢の呪縛にかかる前に望んでいたこと。それは何かになるとか、何かを手に入れるとか、そういう夢とはちょっと違う。だから、娘に聞かれたら、こう答えている。

「私が子供の頃になりたかったのは、私だよ」

私が私でいられるということが、本当の夢だった。すぐに周りの評価を気にして、「いい子」でいることが目標になってしまうのが嫌だった。私は「良い子」になりたいのではなく、「私」でありたいんだ。

自分が自分らしく、自分のベストを尽くせることが私の夢。だから、何かよくわからないが興味があることには何でも手を伸ばした。

他の何かや、他の誰かになろうとか思わなくていいし、みんなが望むものを持たなくてもいい。みんなが知っていることを知らなくてもいい。みんなが出来ることが出来なくてもいい。他の誰かと一緒になることも望む必要はない。あるものが、あなたがあなたでいるために必要なら、それを持ち保つための努力をするべきだし、あるものがあなたの存在を脅かすのだったら、それから離れるべきだ。

自分が自分らしく居られると言う事は、それだけで自分を大切にしているということ。周りの人にも、自分らしく、自分と同じくらい大切にできたらいい。

そんな自分自身を全うしている人たちを、とても格好いいと思う。





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