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人は自分を救済するために生きている

この言葉は、文豪ストレイドックスという作品で出てくる。

まだ全てを見終わっていないが、とても心に残るシーンが多くありすごく面白い作品だ。

人はなぜ生きるのだろうか。

あなたはなんのために生きるか考えたことはあるだろうか。

僕は、結構この類に関することを考えることがある。

例えば、なぜ今の表現活動をするのだろうか。と。
僕が今、この一瞬を生きられるのは一度だけである。

その時に感じたこと、見たもの、聞いたもの。
それらから、自分がその時に何を思って感じたのかは、いずれ忘れてしまう。

だからこそ、表現をしておく。

今、スッと頭に浮かんだのは、こんな感じだ。

しかし、よく考えると、これは上辺の上辺だ。

本質から程遠い。



僕が、今をこうして生きている理由は、家族のためだ。
また未来の自分の子孫のためである。

母に、好きなことをして、良い生活をさせてあげたい。
おばあちゃんに、最高の終活をさせたい。
姉に、自分の可能性を知ってもっと楽しんでほしい。
妹に、自分の好きなことでより多くの人を幸せにしてほしい。
叔父に、自分の才能を活かして生きてほしい。
叔母に、自分の望む人生を率先して生きてほしい。
従兄弟たちには、もっと自由で好きなように生きてほしい。
未来の自分の子孫には、自分が味わったくだらない経験をさせたくない。

これらを僕が生きている間に、彼ら、彼女らが生きている間に味わってほしいことだ。

これを見た人の中には、お節介なやつだと思われるかもしれない。
その通りだ。

でも、僕にとってこれは、ただのノルマにすぎない。

こうやっていうと、お前は誰のために生きてるの?
お前の人生生きてなくね?と思われるだろう。

僕自身もそう思ったことがある。

僕らは、なぜかやたらと周りのために生きようとする。
これはなぜなのだろうか。

簡単だ。

そう思っていると言った方が、良い人に映るからだ。
聞こえがとてもいい。

自分のことしか考えていない人よりも、自分は母のために頑張ってます!!と言った方がなんか良いやつ感がある。

日本人である僕らは、余計この傾向が強い。

それが故に、無駄に周りを気にしたり、人の目が気になってしまう風潮が強い。

これは、子供の頃から植え付けさせられたものだからなかなか拭えないものだ。

あなたにもその節があるだろう。

僕は、これに気づくことができたのはつい最近だ。
ここ1、2年でこれに気づけた。

これに気づける人は多くないだろう。
なぜなら、そんな余裕と1人での時間がなければここに到達ができないからだ。

僕には、それができた。

社会の流れから僕は完全に外れているおかげだ。

いい意味でも悪いみでも周りから変に影響をされることが減ったからこれが可能だった。

それを、ここで僕が伝えることで、時間や社会に追われているあなたに少しでも考える余白になれば良いと思っている。


さっきも言った通り、僕が生きている理由、今こうして記事を書いている理由をいい人風に言えば、家族のためである。

僕自身、長生きをしたいと思ったことはない。
できるなら、いい感じの年齢でこの世を気持ちよく去りたい。


でも、よく考えると、この記事のタイトルのように
『自分を救済するために生きている』

これが紛れもない事実である。

これは誰になんて言われようと変わらない真実だ。


なぜ僕が、家族のためにって言っていたかを深ぼった時に答えが出た。
それは、父に対する呆れや怒りだった。

僕は、母子家庭育ちで、父とは小学生に入ったくらいのときに別れている。
僕らは母1人に育てられたんだ。

父は、今別に女性と再婚をして2人の子供と暮らしている。

幸せそうで何よりだ。

しかし、父は僕ら家族に対して世間でいう父としての役割と責任を完全に放棄した人間だった。

僕は、男してダサい。
そう強く思ったんだ。

それでも、僕の母が人間味がある人で、僕らと父の関係を良くしようといつもしてくれていた。
でも父は、それすらも受け入れられない器の持ち主だったんだ。

僕は、ある時から、父ができなかったことを全てしてやると誓ったんだ。
完全に反面教師になった。

父が、母や僕らを大切にできなかったなら、僕はどんなことからも守れるようになってやる。

父が子供(僕ら)にしてやれなかったことは、僕らの子孫には絶対にしてやる。

そーゆう思考になった。
逆に、父が僕らにできなかったことをそのまま父にしてやるってところまで考えるようになった。

これは今でも1つの原動力になっている。
でも当時ほど憎しみや怒りはない。

それよりも大事なものを見つけたからだ。

2年前にある人から言われた言葉がある。
家族のためにって思うなら普通に就職すれば?と言われた。

その人の思考が当時は全く理解ができなかった。
普通に就職をして家族のためにならないからこの道を選んでるのに、そんなのも理解できないのかと落胆した。

でも今はそうは思っていない。

確かに一理あると思う。
普通に就職をしていれば、母だけなら良い生活をさせあげることは全然できる。

でもその他の人は見捨てないといけない。
当時はそう思っていた。

僕の家族の文化として助け合うっていうのがある。
これは母も母子家庭育ちだったことが影響している。

僕のおばあちゃんも、1人で5人(母たち)を育てきた強靭な人だ。

それもあって、自然とみんなが力を合わせて生きていくってことが当たり前になっている。

まさしく、僕らにもその文化が根付いていて、さらにはみんなが仲が良いとうのもあり、僕が母だけを幸せにするっていう概念がない。

家族全員が当たり前なんだ。

ここには僕も含まれていて、僕が幸せで楽しいことが絶対条件だ。
僕は、特別に良い人間ではない。

優しくもないし、性格を良くない。

僕は、自分を救済するために生きている。

僕が家族全員を幸せにすることで、父に抱いた怒りや呆れから解放されたいんだ。

家族全員を社会から解放させることで、僕も不条理な社会から解放されたいんだ。

1人で解放されたって僕は幸せじゃないし、人生を楽しく生きられない。
だから僕が勝手に家族を巻き込んで、あたかも良い人風に夢を追ってて熱い男だな!!!っていう人間を演じているわけだ。

別に嘘をついているわけではない。
どれも真実である。

ただ、家族のためだけに生きるなら、自分の人生なんて考えなくて良いわけだ。
お金のためだけに働いて、そのお金を家族に死ぬまで与え続ければこれは家族のためになるだろう。

でもそれをしないのは、僕が生きたいと思う人生があり、夢があるからだ。

本当に人のためだけに生きたいのなら、それは本質的に自分のために生きなくてはならない。

僕はそう思ったんだ。

仮に僕が父になり、僕の子供が、僕と同じようにしようとしてたら、僕は喜べない。

自分のために人生を生きてほしいと思う。
どんなにお金を貰えたとしても、僕は嬉しくない。

だったら、自分の子供といられる時間があった方が幸せだ。

ここでの一番の理想は、自分の力で好きなことで頑張ったお金やそこで生まれた時間を家族たちに使い同じ時間を過ごすことだ。

僕はそれに気づいた。

今、文豪ストレイドックスを見てこの言葉に出会ってそのことを思い出した。

色んなことに常に追われるようになった僕ら現代人は、自分の中にある核や本質を見失ったり、それを見つけずに時間が過ぎてしまうことがほとんどだ。

だから、周りに流されるし、ありのままで生きることが難しくなってしまう。

気づけば、他力本願になり、人を恨まずにはいられなくなる。
当時、僕が父に抱いたように。

でも、自分の信念を持ち、それを貫くことでより大切なものが見つかる。

それが心を豊かにしてくれる。

日常が豊かになっていく。


あなたは何から救済されるために生きていますか?


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