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話が合わなくなっていく原因

学生の頃、大人たちによく言われていたことで

今の友達は大人になると友達じゃなくなるぞ

ってことはよく言われた。

歳を重ねるとその意味や感覚は理解できた。

でも、なぜなんだろう。

環境が変わるから会う回数が減る。
これはわかる。

僕は、ありがたいことに昔からの友達が今でもいる。

なんなら年々と仲が良くなっているし、絆が深まっている。

そうじゃなくなった人ももちろんいるわけだ。

ここには何があって絆が深まる友もいれば、縁が切れてしまう友がいるんだろうか。

僕は、気づいたことがある。

それは、今でも縁が続いている人は圧倒的にコミュ力が高い人ばかりだってことだ。

学生の頃からそうだったって言うのはもちろんあるが、間違いなく年々コミュ力が上がっていっている。

昔からの友達や最近出会った人で友達になった人の共通点はコミュ力が圧倒的に高い傾向がある。

それとは逆に

会わなくなる人や仲良くならない人はコミュ力が低い傾向があった。


周りの会話を聞いていると、

よく会っていた人と会わなくなる原因の多くは、話が合わないってことだった。

確かに、話が合わない人とわざわざ時間とお金を使ってまで会いたいなんて思わない。

ここで重要なのが、よく会っていたのにってところである。

つまり、少し前までは話が合っていて、性格や価値観も受け入れていたのに、なぜか会わなくなっているわけだ。

だから、もともと苦手とか嫌いとかではない人とだんだんと距離が出てくるのが大人の人間関係には良くあることが最近わかった。


あなたの周りにもこんなことないだろうか。

週一で会っていた人と会いたいと思わなくなってきた。
定期的に会っていたあの人ともう数年会っていない。などなど


僕は、この原因は色んな要素が絡み合っていると思うが、根底にあるものは
1つなんじゃないかって思うんだ。

それが、

話が合わなくなる

ってことだ。

そしてその原因は、

コミュ力

に関係がある。

社会的地位やステージ等が上がると昔の人間関係がなくなっていくなんて言われるが、その通りだと思う。

当たり前に話していたことが話せなくなる。
それは、見ているものや聞いているものが変わることが大きな要因だろう。

ここで話が合わないってことが起きるわけだ。

これは、ある1人が飛び抜けてしまった原因でそうなる。

でも、実際にこれは稀にしかない。

なのにも関わらず、僕らの人間関係は年々変化しているわけだ。

ここでは、実際に何が起きていて、変化が起きているんだろうか。


これはすごくわかりづらい。

でも意識しているとすごく納得できることだった。

コミュ力って天性的な部分が大きいと思われているが、実際はそうでもない。

一部天性的なところはある人はいるだろうが、多くの人は後天的にコミュ力を伸ばしている人がほとんどである。

つまりコミュ力は誰でも手にできる力で伸ばせるものであると言うことだ。

これは何となく、理解できると思う。

僕がここで伝えたいことはその逆にある。

コミュ力は、

低下する

ってことだ。


よく会っていた人が疎遠になるっていう問題に起こっていることは、どちらかの社会的ステージが良い方で変化し、話が合わなくなっていくってことだった。

しかし、これは稀にあることである。

僕らの周りに頻繁に起きているよく会っていた人と疎遠になってしまう原因は、どちらかのコミュ力が低下しているってことだった。

どうゆうことか。

話が合わないって言うのは内容のことではない。

もっと表面的なところである。

聞いているときの表情やリアクション。
リズムやテンポ。

これらに違和感を感じた時に人はその人に少なからず失望するんだ。

子供の頃は、そんなことを考えないし気づかない。

でも、大人になっていくと、色んな経験から、この仕草をした時に相手はどう思っているのか、この返事のテンポは聞いていないなとかってわかるようになる。

逆を言えば、どんなに話の内容が合わなくても、合わせることができるようになっているのも大人なわけである。

つまり話が合わないって言うのは内容的な部分ではなく、表面的な部分のことを言っているわけだ。

なぜ、違和感を感じた時に、少なからず失望をしてしまうのだろうか。

これは簡単だ。

大人になっていて、そんなこともできないくらいに何もしていないんだなーって言う失望だ。

ただ働いているだけで、何も考えずに時間が過ぎていくのを待っている人はコミュ力は低下していく。

何故なら、向上せずとも考えるべきことを考え、やるべきことをやっていればコミュ力は維持される。

しかし、コミュ力が低下している人は、考えるべきことを考えず、やるべきこともやらず、自分の楽を手にするためだけに全てを捧げている人が多い。

結果的に、よく会っていた人からすれば、違和感しかなくなるわけだ。
そして、もう片方の人はコミュ力は維持され、向上していく人もいるから疎遠が広がっていく。

この、コミュ力が低下していっている人にはしっかり注目しておいた方がいいだろう。

大人になればなるほど僕が感じているのは、何も気を遣わない関係がどれだけすごいことなのかってことである。

気を遣わない関係を深ぼると、面白いことに

気を遣わないために気遣いが必要だってことだ。


どんなに仲が良くても疎遠になるって言うのは、遣いたくない気を遣ってしまう、遣わせてしまうからである。

コミュ力が低下している人に違和感を感じるって言うのは、今まで気にしてこなかったことが気になり始めているからである。

僕らは、居心地がいいところに集まる。

居心地がいいところには、たくさんの気が遣われている。

コミュ力が高い人たちは、それを自然に無意識にできるまで鍛えているし、さらにその上に行こうと日々鍛錬している。

だから、気なんて遣ってないよ!って言っていても、自然に無意識に相当高いレベルで気を遣っている。

じゃなきゃ、赤の他人同士がそんな長く付き合っていけるわけがない。


人間とは繊細な生き物だ。

居心地が悪いところにずっと居座れる人間なんていない。

話が合わないって言うのはどちらかが上に駆け上がっていて起きている現象だと言われるが、現実ではそれよりも低下してしまっている人がいるんじゃないかっていうのが僕の見解だ。

ある意味では両方の人が真逆に猛スピードで走っていると言ってもいい。

そう考えると、やっぱり、昔からずっと仲がいい友が今でも仲がいいって言うのは相当な奇跡が起きているなって思う。

もし、そーゆう人がいるなら、本当に大切にした方がいい。

僕は、それで生きられていると言っても過言ではないくらいに感謝している。

大切なひとを大切にできるように僕もさらに頑張ります。


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