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貧乏でよかったこと

僕は母子家庭で育ち3人の兄弟がいる。

そして僕の人生は母や離婚した父と同じような感じになっている。
僕はそれがどうしても嫌で全く違う人生にしたくてこうして発信をしている。

やることはシンプルで、母や父がやってこなかった事をやり、逆に母や父がやってきたことをやらないことだ。

母や父は勉強をしてこなかった。
父は育ちが良く、何もしなくてもなんでも与えてもらえる家庭で育った。

母が真逆で、自分達で頭を使って明日を生きるのにも苦労した家庭で育っている。

なのに母と父は欲望のまま生きてきた。
自分が楽しいと思うことだけをやり、自分達ができることだけで生きてきたタイプの人達だ。

だから勉強というものをしてきていない。

だから僕はまずそこから違う事をしようと決めた。
今じゃ毎日こうやって2000〜5000前後の文章を書いている。
またそのために、毎日2冊〜5冊の本を読んでいる。

そのインプットした知識を知恵にするためにYouTubeに動画を上げている。

これを何年も継続すれば僕の夢は叶えられる。

夢を叶えるために、それだけの為に僕は生きている。

僕は今日まで色んなことを我慢してきた。
そのほとんどはお金によるものだった。

やりたいことがあってもお金がなくてできなかったし、
欲しいものがあってもお金がなくてできなかった。

だからそれでも生きれる方法で僕らは選択と決断をしてきた。
このままそれを続ければずっとこの我慢して生きていくことになる。

そんな人生は嫌だった。

何回も自分の育ちを恨んだことがある。

周りを見ると皆両親がいて、一軒家の家を持っていて、僕たちが欲しいものをいつでも全部持っていた。

羨ましいとかの域を超えたものがそこにはあった。

じゃ僕は今不幸せなのか?と言われると全くそうではない。

僕はこの貧乏から抜け出す事を1つの壁だと思っているが、貧乏なことがそんなに悪かったか?と考えると全くそんなことはない。

貧乏で良いことも沢山ある。

これは周りを見た時に感じた羨ましいという感情とはまた別に生まれたものだった。

周りを見れば僕らとは全く違う生活を送っている。

そこから感じるものはいつも冷たいものだった。

僕らの家庭はモノをどれだけ長持ちさせるかをいつも大事にしている。
いわゆる貧乏症ってやつだ。

もらえるものはありがたくもらうし、買うものはやたらと長持ちさせるように使う。

気づけば家には沢山のものに溢れている。

また貧乏症で捨てられないんだ。
これも悩ましい問題である。

それくらいにものは大切にするっていう習慣が他の家庭よりもある。

これはものだけじゃない。

人に対してもそうだ。

現代の問題に上げてもおかしくないなって思うことは多くの人は感謝ができず、恩恵を簡単に忘れる人が本当に多い。

恩恵を忘れるっていうよりも、自分のために誰かがやってくれたことにすら気づいていないのかもしれない。
多分そうだ。

僕はこれには貧乏でよかったと強く思う。

僕は人に何かしてもらったらそれを絶対に忘れるなと教えられてきたしちゃんと恩返ししろとも言われてきた。

僕ら貧乏人は与えてもらうことが当たり前じゃない。
何かが用意されいることが当たり前じゃない。

だからそんな僕たちに何かしてくれたことは絶対に忘れないし、必ず感謝の気持ちが芽生える。

そしてそれを伝える事をおろそかにしない。

それが当たり前じゃないってことを心底理解してるからだ。

でも世の中の多くはこれらを軽視している。
だから冷たさを感じるんだ。

食べれることが当たり前、食べるものが用意されていることが当たり前、やりたいことができることが当たり前、勉強することが当たり前。

僕からすればどれもこれも当たり前じゃなかった。

だから僕らは人よりも暖かい人間だと思う。
人よりも愛情が強いと思う。

これはどんなに成功しようが、お金を手にしようが手に入れることが難しいものだと思う。

人の痛みを知っているし、人のありがたみも知っている。

これらを自然と身につけられたことは何よりも貧乏でよかったことだと僕は思っている。

僕みたいな人が成功すれば世の中はもっと良くなるよね。
頑張ります!!!

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