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【別離】 ちょろ⑤

~ちょろ外伝~

野良猫の「ちょろ」と
知り合う前の年の9月に、
私は最愛の犬を亡くした。
満16歳まで生きてくれた。
名はリリー。
白い百合から名付けた雑種。
全身の白毛も
中折れた耳の薄い赤茶も
美しかった。
それは
初めてのメス犬だった。

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想い起せば、リリーは
貰う筈ではなかった。
欲しいのは男の子であった。

貰いに行った家庭には
5頭も産まれていて
生後ひと月半の子たちが、
1メートル四方の
段ボールの囲いの中で
ゴムまりのように
ころころと
活発に遊び廻っていた。
この中に意中の子がいる。
飼うなら、
元気な凛々しい男の子。
私は胸が高鳴り見渡した。
おや?
その輪から弾き出されて
段ボールの壁際に
追いやられて、
弱々しく寝て居た。
そんな、希望にない子が
私の臭いに気づき、
見上げて私と視線が合った。
覇気のなかった、そこ子は
体を起こして
両手を前に並べ、
行儀よく伏せの格好をした。
つぶらな弱々しいが
優しい瞳で尻尾を振った。
ピリ!ピリッ!と
電気が走った。

引力に引き寄せられる。
私は手を差し伸べて、
頭を撫でた。すると、
この子は口先を持ち上げて
私の親指をぺろっぺろっと
舐めて返した。
また、私は頭を撫でる。
その子も指先を舐め返す。
再び目と目が合う。
控えめなのに、強い眼差し。

この子だ。
この子が私の子だ


私は膝を曲げて
この子の両脇に
左手をするっと入れ
右手を背に当てて
囲いの中からすくい上げて、
両腕で胸に包みこんだ。

もっと抱いていて、
ずっと抱いていて、
見上げるその目が訴えていた。


その時の見つめる円らな瞳が
私の脳裏に刻まれている。
この時の温もりが
今も想い出の中に生きている。

「あっ、その子、
 女の子ですよ!」

先方の奥さんが、
一大事とばかりに叫んだ。

5頭の中の唯一の女の子で、
約束違反であった。

先方の大学生の長女は
この娘を
殊更に可愛く思っていて、
人に譲らず離さずに、
このまま妹として飼い続ける、
と宣言していたという。

奥さんは、私が必死なので
それに屈したのか、
定かではない。
目から涙をひと滴、
ポトリと落として言った。
娘が学校から帰る前に、
いま、連れていって!
娘も娘の妹も、
いずれ、嫁って
出て行く運命ですから。

娘さんには同期生の
恋人がいて、
その彼氏というのは、
獣医学を専攻していて、
卒業後、しばらく、
北海道の馬の牧場に就職
するらしく、娘さんもまた
牧羊犬の世話を
仕事にするとのこと。
そんな、娘さんの妹を、
強引に連れ去ったのだ。
母親の苦しい了解が
あったとは言え。
これが、リリーとの
なれそめである。

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それからの16年と75日の
語り尽きない
素晴らしい思い出の後、
リリーを亡くしたのだ。
リリーは晩年の数年、
心臓の病で、
通院と三種類の薬が要った。
ひょっとした弾みで
発作を起こして気を失う。
私や家内は、その度に、
優しくいたわり、なだめた。
そうして発作は収まり、
また、穏やかな時を迎える。
そんな日常のなか、
いつもの発作があって、
気を失い介護をした・・

すこし、いつもと違う、
私は座ったあぐら足に乗せて
両腕で包み抱いた。
閉じていた目を開けて
私を見入って、
それから傍らの家内へも
眼をやった。
何かを言っていた。

クウーっ!
大きな呼吸をして、
息を引き取った。
・・・・・・
・・・・
・・

この悲しみを、
私は、どう言い表して
いいのか、
書けない。

亡くなった日から次の日へ。
悲しみの夜、
私と家内は
遺体を守って、
毛布に包み、
長い最後の一夜を
リリーと共に過ごした。
尽きない思い出が
彼女の屍と私と家内の
暗黒の深海に沈み込んだ
部屋の中で
線香花火のように
はかなく、悲しく、
幾度も稲光って、
長い夜が明けた。

業者に依頼して
言われるがままに
火葬を行い、
箸でもって骨を
壺に収めた。

りりーの祭壇

心にぽっかりと穴が開き
空虚な風が吹く。

それまでは、
他人事で聞いたフレーズ。
リリーを亡くして、
この言葉の意味を
私は身に沁みて
実感した。
ああ、
もう二度と、
ペットは飼わない。
こんなにも辛くて
悲しいから。

~つづく~


※リリーを頂いたそのご家庭と結婚された娘さんとは、親戚同様のお付き合いが今も続いています。




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