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エッセイその33.タイムカプセル1998

人間の記憶というのは 摩訶不思議なものですね。

誰でも同じだと思いますが、妙によく覚えていることと、
その他の、ぼんやりなものとの差が、大きくできます。
普段は全く思い出さないことがほとんどです。

そしてまた、私はそれが極端なほうです。

私の「覚えている」手がかりは、誰をいつごろ教えていたかということや、
そのことは自分が結婚した歳にあったことであったとか、
上の子保育園に入った年にあったことだったよねとか、
覚えやすい年に絡めて覚える形です。
思い出すと、ずるずると芋づる式に出てくることも多いです。

そのくせ、何年も信じていたことがひっくり返ることが多くて、
自分で呆れます。

ものすごく久しぶりに生徒が日本に来て、会ったときなどに、

「あなたが日本を出たのいつだっけ?
2009年ぐらい?」

と言ったら、

「いえいえ先生、25年前ですよ。
帰った翌年に先生に会った時、先生新婚さんだったでしょ」

と言われました。
そういや、そう。
なんでそういうことを、10年単位でずれて間違えて覚えるのでしょうか。

今の人は幸せですよね。
写真も、24枚撮りだからあと3枚か・・みたいなことを気にせずに、
バシバシ取って、ネガの劣化や紛失も恐れることなく、
アルバムが部屋の狭いスペースを取ったりもないわけですよね。
もう、毎日が定点観測ていう感じ。
子供さんたちにとっては、一生分の自分のドキュメンタリー映画を作ってもらっているというのと同じです。
写真も動画もいっぱいあるし、
なんならYoutubeにあげちゃって永久保存なんですってね。
すごいなぁ。

私たちの時代は、フィルム1本を撮り終わると、DPE屋さんに、
フィルムを、買った時に入っていた丸い半透明のケースに入れて、
「同時プリント」を頼みに行きます。

それから、言われた日に受け取りに行って、楽しみながら家族で見た後は、
ちゃんと整理するかというと、絶対にしないんですよねこれが。
面倒だったり、怠惰だったり、忙しかったりで。

フィルムのケースは、折れた針や、携帯用のソーイングセットを作ったり、
旦那さんのワイシャツを捨てるときに切り取ったボタンとか
そんなものを入れておく容器として、役立っていました。

現像した写真ねぇ・・。
そ縦長の紙袋に、ネガ用の紙の細長いケースが入っています。
その中に、プラスチックケースに差し込まれたネガが、
折り畳まれて入っているんですよね.
同時プリントした写真が12枚か24枚、36枚のいずれかで
ネガと一緒に入っています。
それが無常にも、どんどんどんどん、溜まっていきますな。

それで、ときどき胸がチクチクする。

ああ本当に、いい加減にアルバムに入れなくちゃ!

・・って。


写真の焼き増しをして、あげ合う、というのもありました。
それ用のジャストサイズの半透明の袋に入れて、

「はい、この間の写真」
「え〜、ありがとう! おいくらだった?」
「いいわよ〜、いつもお世話になっているから」
「んんまぁ、申し訳ないわ〜、いいのかしら〜」
「いいわよ〜ん」
「本当に〜?」

などというやりとりもありましたね。

ところで、図書館の貴重な本を、
一生懸命マイクロフィルムというのに撮影し、
永遠に保存しようとしてくださっているそうです。
ところが、数年前に新聞で読んだことですが、
そのマイクロフィルムさえも、ある年月が経ってしまいますと、
劣化して、ダメになってしまうのですって。
上下の端がちりちりと縮んでしまい、
その見た目が「酢昆布」に似ているので、「酢昆布現象」というとか。

自分が保存して欲しいと頼んだわけではないのですが、
このことを知った時、

ああ無常・・・

と思ったのを今 思い出しました。


ここに載せた写真は、長女2歳、次女0歳、
私がほにゃらら歳のときのホームビデオです。

次女が生まれたら、長女も幼児帰りして、
しばらくタンデム授乳になったため、
私もあっという間に体重が減って、38kgになりました。
九段下の同潤会アパートの中庭で、
ビル風に吹かれて、おとととと〜・・と吹き飛ばされました。
ガリガリで、二重顎ではありません。
顎のとがった小顔だったのです、昔は。
よく見えませんが、たぶん しみ・しわ・たるみがなく、
現在のように、

丸顔か卵型か、輪郭がぼやけて どっちとも言えない、

ということもなかったと思います。

このビデオの中では、よく舌の回らない長女と一緒に、
Kiroroの「未来へ」を歌いながら踊っているのですが、
その声も、今よりずっと高いのです。

狭い3DKの北烏山の賃貸アパートです。
その6畳の部屋の床の間にテレビを入れてしまい、
その前をベビーゲートで子供よけを作っているのが写っています。

台所も、本棚やベビーゲートで囲っていたのでした。
特記したいことは、長女の英語の発音がやけによく、
24歳になった今より、全然いいことです。
うちはインターに行かせるお金がなくて全部公立だったので、
できるだけのことは親がしようと思って、家で頑張っていたのでした。

20年以上も経って、年取った私に見られることなど思いもせず、
映像の中の私は、気楽に娘と歌って踊っています。

自分に話しかけます。

あんた、あれからいろいろあったんだよ。
それに、こんなに早く長女が親元を離れ、
次女もカウントダウンだとは、思わなかったでしょう。
それは「いつか」あることとは知っていても、
こんなにあっという間だとは、わからなかったよね。

普段は思い出せないのに、その日の空気が昨日のことにように感じられる。
見ていて、それがなんとも不思議でした。

以前は、

記憶ってなんだろう。
やったこと、あったことさえ忘れてしまうなら、
人間の営みや、まだらに残っている記憶には、なんの意味があるだろう。

そういうふうに考えたこともありました。

でも今は、何事もなく、特に覚えてるような、
目覚ましいことがないのが、結局幸せなのかもしれないなあ、
なんて思うことが増えてきました。

年取って焼きが回りました😅


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