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エッセイ223.おうちでロスト・イン・トランスレーション(11) Gマーク?


今は独立して家を離れた娘たちが、だいたい中学生ぐらいまでは、

夫(父親)が、ぽつーん・・・・・・・

その後、高校生から今に至るまでは、

私(母親)が、ぽつーんんんん・・・

なんのことかと言えば、言葉の問題で、疎外感を味わうことになった時期が、それなのです。

娘たちは、私たちのデスパレートな努力により、
生まれて最初の2、3年は英語ネイティブでした。(私が言ってるだけ)

・・といえば聞こえはよいが、そもそも片言の英語と日本語の範囲で、
語彙や表現が揃っていた、というだけのことです。
もともと、まだまだ言葉、操ってませんもんね。

そのあと、外遊びを盛んにするようになり、幼稚園に入りますと、
あっという間に日常語が日本語になってしまいました。
英語で父親に話しかけられても、日本語で答えるようになったわけです。
あ〜、元の木阿弥というか、努力は水の泡で終わるのか的な状況です。

日本におけるミックス結婚のカップルはこの辺で、
この先の子供の教育を、言語的環境を、どうしようと、
悩み始める人は多いでしょう。
父親か母親の国が海外であると、そっち帰ろうかと一度は考え、
お金があれば、プリスクール、その先はインター・・
と考える人が多いかなと思われます。

うちは、お金がありませんでした。
子供たちが就園年齢になりますと、ミックス結婚繋がりで仲良くなっていたファミリーは、子供さんたちをインターに入れ始めます。
あの頃は正直、「お金がほしいな!」と私は思っていました。

よく、「お父さんが外人さん? いいね、英語ペラペラでしょ?」
とおっしゃる方がおられますが、否々いないな
放っておいて子供がそうなる、ということは、私は見聞しておりません。
必ずどちらかが、「主言語」になるようです。

お父さんが、またはお母さんが外国の人でもですね、
自然にはバイリンガルにはならないというのが自説です。
全然リサーチはしていませんが、経験的にそう思っています。

日本生まれ育ちで、途中からでも二カ国後話者になるのには、
途中からインターナショナルスクールに入れられ、一日中「漬け」になる、
というケースが多いのではないでしょうか。

日本におけるミックスキッズの言葉に関しては、一番多いのが、

【一緒にいる時間の圧倒的に多い、お母さんの母語が自分の母語となる】

ということのように思われます。


この辺、きっとどなたかが研究していらっしゃると思うので、知りたいと思っています。


さて、子供たちがローティーンの頃までは、一度失われたかのように見えた英語は、受難の時代でした。


子供たちは、なにより友達と違うのが嫌だったようで、夫はこのころ、

大門! (ブログに出てくるときの夫の仮名。うちはお互いが呼び捨てです)
きもい!
英語喋らないで。

などと、ひっどーいことを言われるようになり、
それからたまに、「おとんは学校来ないで」などの暴言もあり、
本当にかわいそうでした。

それぞれ2歳ぐらいまで、家で一生懸命英語で話しかけていたため、
一応英語しか話さない時期があった二人の娘ですが、やっぱり環境は強い。

英語を喋る時間が激減すると、英語は鳴りを潜めました。

でもそこで諦めなかった夫は偉かった。
読み聞かせもずいぶん長い間やっていました。

本を読まない娘らも、
「モモ」「ホビット」「楽しい川辺」「ハリーポッター」と、
名作は父親から聞かされました。


私の仕事は日本語を教えることですが、レッスンでは、
相手に飲み込みやすく、消化しやすい日本語を努めて話しますから、
教えているときは決してリラックスはしていません。

でも、

夫が帰ってきたな! よっしゃ! 何をやらせてくれよう!

 と思っても、子供の英語のためにと思えばまたまた英語にスイッチ。

かといって、別にバイリンガルではない私、
目からの情報も耳からの情報も、日本に住んでいるのに英語が割と多い。
端的に言って、ものすごく疲れました。

その後、高校生になった娘たちは、Youtubeなどを見るようになりました。
で、

もしかして英語がわかったり、話せるのは、「お得なことらしい」

と、気が付いたんだそうです。
そのころから俄然、父親と英語で喋るようになったのでした。

その後、二人とも、名古屋にある外語大学に入ったのですが、講義なども楽しかったらしいです。

父親と娘たちの間で、「これ絶対に読んでみ!」と、英語の本をお勧めし合うようになっていました。
いえ、本だけではなく、字幕のない映像も、Youtubeの番組も、同じものを見るような感じになっていきました。

父親の方は、たまには娘らの勧めで「ヒット」もあるが、
やはり世代間のギャップもあり、

「いつも面白い・楽しいわけではないですYO?」

と私には言っていました。
いやいや、楽しそうでしたよ〜ずいぶん。

私はそれまで、さすがに世界のニュースは、どこから送られてこようと、
似たり寄ったりだろうと思っていたのですが、そうではありませんでした。
みんなの話題になる人々も、全然違っていました。

同じニュースや娯楽を、英語圏発信のものから取り入れている夫と娘。
一方そうではない私とは、どんどんどんどん、知識にも理解にも、大きな隔たりが生じるようになったのです。

夫はすごく懇切丁寧になんでも説明してくれる人間ですが、娘らは違います。

おかん! 「なになに」(または誰々)なんだけどさ〜

と話しかけてこられても、知らないということが増えました。
そうすると、打てば響く夫の方に、娘らは多く話しかけるようになりましたな。

三人が盛り上がって、字幕のないYoutubeやNetflixを見ていル時は特に、私一人、(なんかよくわからん・・・)という時代が続いたのです。

それの終わったのが、娘たちそのものが、家にいなくなったときです。
あっ、うまく愚痴へ持ち込んでしまいました、すみません。



夫は、外国人が数人しかいない会社に30年勤めていて、
ほぼ日本語の会話は不自由していませんが、
若者が早口で、知らない人たちや物事について喋りまくるときは、
やはり、ついてこられないことが過去には多かったです。

それと同じことを私も体験しました。
家庭内における、言語不自由体験です。

まさに「おうちでロスト・イン・トランスレーション」!😅😭


そうそう、最後に、今日の題名の「Gマーク」です。


結婚した頃、夫に訊いたんですね。

「夫はなぜ、字幕のことを、「字〜ま〜く」と、伸ばして言うの?」

って。

よく訊いてみたら、夫はこれを「字幕」という日本語だとは知らず、
「Gーmark」という、和製英語だと思っていたのだそうです。

今はもうそう思ってはいないそうですが、でも発音は今でも、

この映画、じーまーく、ある?

というように言っています。

なんでだ?


(写真は、昨日夫と二人で見て涙した、「幸せへの回り道」です。
このぐらいだと、私もじ〜ま〜くは、要りませんでした😐)

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