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エッセイ 164. 「今日もとても幸せ」と言う人のこと

私が勝手に、NZブッククラブと呼んでいる、
旦那とその母とのほぼ毎朝の「オーディオブックを聴く会」。

去年の2月に夫の発案で始まり、義母が教会に行く朝や、
娘の家に泊まりに行く日以外は、ずっと続いています。

最近、1週間ほどのブランクがありました。

その理由は、数年前に始まった「加齢黄斑変性症」がいよいよ進んでしまい、
一人暮らしが難しくなり、今までの独居可能な人の棟から、
もう少しケアのある、グループ棟へ引っ越すことになったからです。

6年前の入居も義母は、

「一人の家で転んで、死体になって発見されると、みんなに悪いから」

と言って思いきりよく家を売り、施設に入りましたし、
今回も、決めてしまってから子供達に発表しました。

今回退去する部屋は、私たちも6年連続で滞在させてもらい、
いろいろ思い出のある大好きな部屋です。


どんどん目が見えなくなる間も、義母は明るかったです。

いつかも、

「ねぇお前」(Darlin, Dear, というふうに息子を呼びます)

ねぇお前、ちょっと笑える話があるのよ。
今朝はコーンフレークを食べようと思って、
バナナと小さいプラムを入れたの。
でね、食べて、思わず吐き出したわ、なんでだと思う?  
プラムだと思ったらチェリートマトだったのよ! あっはっは🤣
トマトは好きなのに、プラムと思い込んでるから、
食べたときのなんとも言えないショックは大きかったね。

・・・なんて言って、自分でもクスクス笑っていました。

数ヶ月前から、家の中でも杖をつくようになり、危ないからと言うので、
施設から派遣されたヘルパーさんがシャワーを手伝い、
朝食の世話をしてくれるようになりました。

「ああ、私は幸せものだねぇ。
なんにもしなくても、孫のような優しい人が来て、世話してくれて。
こうやって座ってるところに 朝のコーヒーを持ってきてくれて、
そうすると、爪先まで、窓から朝日がさしてくるんだもの」

お日様のことは、これはもう、毎回のように言います。


I feel like a new girl!

も、必ず言います。
可愛いです。

I feel like a new girl!
シャワー浴びて、髪を洗って、パリパリの服を着て、
あ〜あ、ってソファに座ったところだよ。
ラッキーガールと言わずしてなんでしょう。

ですって。続けて息子に、

「ところでお前は今日は何かいいことあった?」

答える息子、いつもおちゃらけますな。

「OH、僕も幸せ者だよ!
なんにもしなくても、妻がご飯作ってくれるし、
今なんか、水を一杯飲んだところだよ」

母、こういうのに慣れていますから、

「なに馬鹿なこと言ってんの」

って、いなしていました。


小さなことに感謝できる義母、素敵だといつも思っています。

そんな義母も、数年暮らした一人暮らしの部屋とお別れるのは辛かったようです。

引っ越し直前まで、

「自分で決めたとこだし、一人暮らしは無理なのだけれど、
やっぱり、あれこれ、物を処分したりしていると、いろいろ考えちゃうわ」

と、言っていました。

思えば、結婚式で初めてNZに行った時から毎年滞在した家ですが、
その家は、義父母がお金を貯めて、最初に買ったものでした。
40年住んだそうです。

その後に、老夫婦では広い家の管理ができなくなったからと、
少し小さな家に引っ越しました。

その家は、結婚式で夫のベストマン(花婿の付き添い)をやってくれた親友の家で、その年、結婚式前にその友人を訪ねて、式次第のパンフを一緒に作ったり、音楽を選んだりしました。
その思い出の家に、義父母が住み、
家族で泊まるようになったのは感無量でした。

その家からは、義父が最後の入院のために出て行き、
おしゃべりしなくなって帰ってきて、最後に教会に送り出しました。

この二軒とも、ウッドデッキや庭、屋外の小さなスパがあり、
小さい娘たちが、義父母を小さな椅子に無理に座らせてお茶会をしたり、
スパで水着着て泳いで、いつまでも上がって来なかったり。

今、たくさんある当時の写真を見ると とても懐かしいです。


この6年住んだ施設内の独居用アパートは、
家族なら3ヶ月まで泊まっていいことになっており、
毎年の帰省の滞在場所となってくれました。
それがなければ、とても帰省はできなかったでしょう。

最後の3年間は、娘たちと都合が合わないために家族揃って行くことはなく、
娘が二人一緒に、また一人ずつバラバラに、
おばあちゃんを訪ねて訪問していました。
赤ん坊のときからさんざん遊んでもらったので、
そういうのは全然平気で、喜んで行っていましたっけ。

コロナがなければ、去年も今年も、そんなふうに義母と会えたはずです。

パンデミックに影響を受けない人はいないので、そこは文句は言いませんが、
政治家の愚昧のために死んじゃうのは、すごく嫌ですので、
私たちはワクチンもおとなしく打ち、引きこもっています。

来年の義母の百歳の誕生日には、なんとしてでも行きたいですから。


ブッククラブのおしまいに、必ず聞こえてくるのが、義母の、

「じゃあ、また明日ね。ガールズによろしくね」です。

ガールズって、娘二人に、私も入っているんですの。
おほほほほ、いい気分です。

私はたまにしか会話に入りませんが、義母は私がいなくても絶対、息子に、

tamadocaの膝はどう? 少しはよくなった?

tamadocaの野菜はどんなぐあい?  

ヨガには行ってるの?

と聞いてくれます。

急いでないときは私も、それを聞きつけて会話に入ります。

膝はだいぶいいよ、ヨガがやっぱりいいみたい。
お義母さんが言っていた、椅子ヨガもやってるよ。
野菜は、水耕栽培の分はほとんど食べちゃった。
すっごい虫にやられて、豊作にはならなかったけれど。

など、おしゃべりをします。

小さな幸せを見つける名人に、いろいろ学びたいです。

入居してから3、4年、毎日誰かの部屋にワインボトルとグラスを片手に集まっていた義母ですが、今ではそのみなさんは全員、施設を出ています。

それがさびしかったけれど、
今はグループ棟で皆さんとおしゃべりできて楽しいよ。

と言っています。

身内にこんなポジティブな人がいる幸せを、私たちも噛み締めています。


身内のことなのであれですが、稀有な人だと思います。

サポートしていただけたら、踊りながら喜びます。どうぞよろしくお願いいたします。