エッセイその92.恐怖のエアポート!①危うく置いていかれるとこだったの章
映画「ターミナル」では、トム・ハンクス演じる架空の国の男が、
アメリカに着いたときに祖国がクーデターで倒れ、ビザが無効になってアメリカに入国もできなければ、国に帰ることもできません。
長い間エアポートに、お金もなく、言葉もわからずで閉じ込められます。
とてもよくできた映画で何度も見てしまいますが、
私には他人事でない経験があります。
あれは、まだ子供が2歳と4歳ぐらい。
その年も無理してやりくり算段、年に一度の帰省ということで、
オーストラリアはシドニー空港経由で、ニュージーランドに向かっていました。
成田から乗った直行便がシドニーに着きまして、外に出ることもなく
乗り換えだけなのですが、一応どこかの関所でパスポートを見られました。
するとそのとき、いつもと違って係員の眉がやや曇り、
少々お待ちくださいませ。
どこかへ歩み去って行きました。
・・・どういうあれでしょうか、私は空港で係の人に話しかけられると、
悪いこともしていないのに、一応「どきり」としてしまいます。
このときも、
♫悪いことしてしてないもん😅
と思って身構えたのですが、してないことはしてないが、
どういうことが「引っかかった」のかは、わかりませんでした。
やがて、さっきの人が戻って来て、
カウンターの横に一家四人でぞろぞろと移動させられ、
お帰りのチケットを確認させていただきます
と言われたのです。
ちょ。
待。
ちょま、それはできません。
なぜかというと我が家のチケットを買う方式は、
①ニュージーランドの旅行社発券の1年間のオープンチケットを買い、
②日本への帰路はその往復チケットの片道を使う。
③1年後のNZ帰省の際、残りの「復路」を用いて帰る。
というパターンに決まっていたからです。
これは、一番初めに結婚式のために渡航した際、
私は1年間オープンの「往路」を使い、
夫は1年間オープンの「復路」を使ってNZに行きました。
私は自分の「1年オープンの復路」を捨て、
夫と一緒にNZ発券の1年オープンを使い始めたのです。
ですので当然、毎回、NZに向かっている最中のわれわれには、
「帰りのチケット」とあちらが言っている、その分はありません。
お金だって、払ってあるんだい!
と言いたいけれども、現物が、ないのです。
そしてそのときの私たちは、あちらからすると、
「片道切符だけ握って、外国へ入国しようとしているすごく怪しい人々」
になっていたらしいのです。
いやいや、いやいや、大丈夫でござる。
我らはここシドニー国際空港を、ちゃんと買った航空券で通過し、
あっちに着けば、帰りのチケットが用意されているのでござる。
と、いくら夫が口を酸っぱくして説明しようとも、係の方は首を振るばかり。
ふと気づけば、なんだか人数も三人ぐらいに増えているではありませんか。
私が変な英語で切り込みました。
みなさま、私たち夫妻は、NZと日本の婚姻法によって結婚した、
法的に立派な夫婦で、この子らは私たちの子供なのです。
それが何より証拠には、ここにこれ、婚姻証明書があります。
(なにかの理由で、必要があっていろいろ書類を持っていました)
すると、首を振り続けるのに一向に疲れない担当官の方が、
では、NZ国籍のあるご主人と娘御らは行ってもよろしい。
と言い出すではありませんか。
私は言いました。
ちょっと待ってください、私と夫は苗字こそ違え、歴とした夫婦です。
それが何より証拠には、この子らのパスポートの名前は、
阿保山 円・ゴディバ (仮名)と、
阿保山 環・ゴディバ と書いてあります。
阿保山は妻、かくいうわたくしの苗字(パスポート見せる)、
ゴディバは、ここなる夫の苗字(ほら、あんたも見せんかい!)。
われわれが一家であるのは明らかではありませんか。
しかし担当官氏は言います。
いやいや決まりですから。
帰りの切符のない者は通しゃせぬ。
そんな殺生な・・。
冷や汗の出てきそうなわれわれに、担当官氏は、
「よろしいですか。みなさんがなんと言おうと、今はそうなっているのです。
帰りの切符を持たない皆さんがオーストラリアを出て、
ニュージーランドへ行って、そのまま帰らずにディサピアつまり、
行方をくらましたならば、これはオーストラリア政府と、ニュージーランド政府の問題となり、決まりを守らなかったわれわれ担当間の責任になるのです」
などとおっしゃるではありませんか。
滅多なことでは笑顔を消さない夫が、ふと見れば無表情。
これは大変にまずいのではないでしょうか。
私は必死で訴えました。
わたくしと、夫の苗字を両方持つ娘らをよくご覧ください。
この年長の娘は、サイズ違いですが私とうりつ二つ(事実です)、
ここな年少の娘は、どう見ても夫にそっくりではありませんか。
これを見て、われわれが家族としてコネクトしていないなどと、
言える人が果たしているのでしょうか。
アドレナリンとドーパミンが出まくって
今思っても笑うしかない大演説をしてしまいました。
しかし担当官氏はあくまでも、夫と娘二人だけは通すという。
私は知恵も体力もないのに、たった一人でエアポートに置きっぱなし。
たった一人でトム・ハンクス、それはさすがに嫌。
と、夫がいいことを思いつきました。
そこの電話を借りて、オークランド市の実家に電話して、事情を説明し、
父親に旅行社に走ってもらい、航空券を発券してもらい、
そのコピーを送ってもらいましょう。
早速行動を起こし、オークランドの父が駆け出し、
旅行社、トマス・クックの担当の方が早速手続きをしてくださいます。
しかも、
「この人らは、(そこまで)怪しい人ではありません」
と証言してくだり、われわれは無事、
乗り換えの飛行機に間に合うことができました。
しかしこれが、トマス・クックの営業時間外だったらどうか。
しつこいようですが、われわれは四人揃ってトム・ハンクス。
本当にラッキーでした。
しかしよく考えると私が、キウイと結婚した、白人系の人だったらどうか。
ここまで止められなかったのではないでしょうか。
それは はい、私は背のちっちゃい、ワラジで踏んづけたような顔です。
それだから止められたのかしら。
今思い出しても、あの不安がよみがえります。
しかも空港で止められたのはそのとき一度にとどまりませんでした。
続きますが、次回も「原因は私」です。
やれやれ・・・・
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