うつ病パートナーを支える男の手記

このnoteの目的は、うつ病患者を支える人の心が少しでも晴れやかになることです。みんな…

うつ病パートナーを支える男の手記

このnoteの目的は、うつ病患者を支える人の心が少しでも晴れやかになることです。みんな頑張ってるし、今日はハーゲンダッツでも買って食べましょう。

最近の記事

うつ病は、優しさをためるバケツに穴をあける

うつ病は、優しさをためるバケツに穴をあける。 穴の空いたバケツに優しさを注いでいる気分になる。うつ病の患者と向き合うとはそういうことだ。いくら優しさを注いでも、そのバケツが優しさで満たされることはない。穴があいたバケツは優しさを溜めることはできない。 世の中に無償の愛なんてものはない、同様に無償の優しさもない。人を愛し、優しくするためには、努力、根気、技術が必要だ。その努力、根気、技術の結晶が優しさとなり滲み出るのである。 パートナーの関係性がうまく行っていないとき、ど

    • 家事の相対量と絶対量

       家事には相対量と絶対量があるようだ。そう考えたきっかけは、うつ病のパートナーと話が噛み合わないことであった。彼女の主張は「わたしはこんなに家事をやっているのに・・・」と続く。しかし、僕の観点(少なくとも僕の観点)では彼女がこなす家事の絶対量は多くない。この状況を説明するひとつの方法として、家事の相対量と絶対量があるようだ。彼女に話をきいてみると、下記の論理により主張が展開されていた。 ①うつ病である ②自由意志の元、活動できる時間(可処分時間)が少ない。 ③可処分時間

      • うつ病は交通事故に似ている

        うつ病を発症する事とは交通事故にあうようなものである。どんな人でも交通事故にあう可能性がある。うつ病も同じで、どんな人でもうつ病になる可能性がある。 交通ルールを守ったり、危ない道を避けるなどすることで、交通事故にあう確率を減らすことは可能である。ただし、0にはできない。うつ病も同じである、ストレス発散の手段を用意したり、自分にあった環境に身を置くなどの対策によって、うつ病の発生リスクを減らすことはできる。しかし0にはできない。 うつ病とはそういうものであるから、自分がう

        • 「喧嘩」と「話し合い」の違いは?

          「喧嘩」と「話し合い」の違いは?  こんな問いを考えているのは、パートナーと大喧嘩してしまった私である。 「喧嘩」と「話し合い」の共通点は、自分の意見・考えを主張することである。相違点は、その主張が感情的に行われるか、理性的に行われるかである。言わずもがな、感情的に主張し合うのが喧嘩である。 誰かと一緒に暮らしていく上で、主張に感情が混ざることは当然である。感情こそが人間の根源だから。ただし、感情を伝えることは良いことであるが、感情的に伝えることはよくない。「私はこんな事

        うつ病は、優しさをためるバケツに穴をあける

          うつ病、皮膚が緑になれば

          「1日中Netflixを見ているパートナー、家事はできない。」 この文章を本当の意味で理解するためには圧倒的な愛と理性が必要になる。それがうつ病を支えるということである。 私のパートナーはうつ病であり、現在自宅療養中だ。パートナーは大学を卒業して、そのまま自宅療養期間に突入した。在学中に鬱を発症しており卒業も危ぶまれたが、本人の頑張りもあり無事卒業することができた。本当に良った、、、、。そして卒業から1年半の月日が流れた。パートナーの闘病生活は続いており、何もできない日も少

          うつ病、皮膚が緑になれば

          うつ病の人は死んではいけないのか

           何度パートナーが「死にたい」と呟いたであろうか。最初はその言葉を聞いた時、あまりに悲しくて泣いてしまった。しかし今となっては「また言っている、、、」と心の中で思ってしまう自分がいる。表面上は無言で頭を撫でてやるのだが、もしかしたらそういうスタンスが伝わっているかもしれない。  辛いなら死ねば良いのではないかと思うことがある。この世は無理して生き続けるべき世界なのだろうか。生きたい人だけが生きて、死にたい人は死ねば良いのでは?過激思想だろうか、それは自由意志とは異なるのか?

          うつ病の人は死んではいけないのか

          「うつ病を患っている割には」という枕詞

          「うつ病を患っている割には」これはうつ病パートナーを支えたことのある人ならば、一度は思ったことがあるのでないか。うつ病の当事者はもちろん頑張っているが、それはあくまで「うつ病を患っている割には」というだけなのである。  生活を続けていくためには、家事という雑務を毎日こなしていく必要がある。うつ病の人間はそれができないのだ。これは病気であり、仕方がないことではあるのだが、確かにそこにあり続ける問題なのである。たとえパートナーが家事が出来なくても、ほんの少ししか家事が出来なくて

          「うつ病を患っている割には」という枕詞

          パートナーがうつ病になったら

           初めに言いたいことは、うつ病患者を支える人達へ多大なる賛辞を送りたいという事である。自分が生きていくだけでも困難の多い世の中で、誰かを支えて生きていくことはとても苦しい。特にうつ病のパートナーを支えるということの苦しさは計り知れない(実体験として苦しかったし、今も苦しい。)。患者自身の生きたいという気力は、支える側のモチベーションを支えるためにも必要なものである。極論を言えば、どんな状態であっても生きたいと強く思っている人間を援助する方が、支える側もモチベーションを保てると

          パートナーがうつ病になったら