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「喧嘩」と「話し合い」の違いは?

「喧嘩」と「話し合い」の違いは? 
こんな問いを考えているのは、パートナーと大喧嘩してしまった私である。

「喧嘩」と「話し合い」の共通点は、自分の意見・考えを主張することである。相違点は、その主張が感情的に行われるか、理性的に行われるかである。言わずもがな、感情的に主張し合うのが喧嘩である。

誰かと一緒に暮らしていく上で、主張に感情が混ざることは当然である。感情こそが人間の根源だから。ただし、感情を伝えることは良いことであるが、感情的に伝えることはよくない。「私はこんな事が悲しかった。だから改めて欲しい」「私はこんな事に怒っている、一緒に解決方法を考えたい。」など、理性的に感情を伝えるたいものである。感情的になると「なんでこれが分からないんだよ、もう面倒くさいわ!」などと言ってしまいがちであるが相手は他人である、筋道立てて話さないと分かり合えないに決まっている。しかし一緒にいる時間が長くなると、これぐらいでも相手はわかってくれるはずという勝手な期待を抱き、分かってくれないとイライラするという駄目ループに陥る、、、、。

自分が感情的に伝えると相手も感化され感情的になる、最終的に罵り合いみたいな状況に陥りがちである。うん、今日のはよくなかった。反省している。傷つけることが目的ではない、分かりあうための努力をしていきたい。

うつ病の人は、体調によっては些細なことが世界の終わりのように悲しかったりする。そんな状況で話合いができるか?話し合いのタイミングを考え、主張をなるべくオブラートに包む等の工夫が支える側には必要である。でもそれを考慮し続けるのもしんどい。うつ病じゃない人も、毎日ハッピー最高!と人生を送っている訳じゃないから、他の人の苦しみまで考慮できない時もある。

今日はまとまりのない文章であったが、こういった文章も誰かの役に立つかもしれないと思い断腸の思いで投稿。とりあえずみんな頑張っててえらい。そして僕も頑張ってて偉い。

最近の口癖は、みんな頑張ってて偉い。僕も偉い。



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