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うつ病は、優しさをためるバケツに穴をあける

うつ病は、優しさをためるバケツに穴をあける。

穴の空いたバケツに優しさを注いでいる気分になる。うつ病の患者と向き合うとはそういうことだ。いくら優しさを注いでも、そのバケツが優しさで満たされることはない。穴があいたバケツは優しさを溜めることはできない。

世の中に無償の愛なんてものはない、同様に無償の優しさもない。人を愛し、優しくするためには、努力、根気、技術が必要だ。その努力、根気、技術の結晶が優しさとなり滲み出るのである。

パートナーの関係性がうまく行っていないとき、どちらかの優しさバケツが空になっている可能性がある。バケツ側に問題があるのか、蛇口側に問題があるのかを判定することは難しい。しかし、ことうつ病に関しては多くの場合はバケツに穴が空いており、優しさが溜まらない構造になっている。僕たち支える側は、それに気づくことなく蛇口をひねり続け優しさを注ぎ続ける。一向に優しさがたまらないので優しさの量が足りていないかもしれないと、さらに蛇口をひねる。蛇口から優しさがでなくなったときは、その関係性が終わりを迎えるときだ。

僕たちができることはなんだろう?バケツの穴を塞ぐことか?バケツの穴を塞ぐことはできない、これは医療に任せるべきだ。僕らができることは、蛇口をひねり優しさを注ぎ続けることだけである。うつ病が寛解するまで、優しさを注ぎ続けることを考えねばならない。これはひどく孤独で苦しいものである。病名はつかず、僕たちの愛を担保に自助努力によって実行することが求められる。


優しさのつくりおき

蛇口を楽にひねられる方法を考えていく必要がある。認識を変えることもいい、「優しさなんて注がなくてもいい」と。優しさ提供は慈善事業でやっているのだ、文句を言われる事なんてない。

その上でどうやって優しさを注ぎ続けるか。最近の僕の取り組みの一つが、優しさに時間概念を取り入れることである。優しさを冷蔵保存して後で使えるようにしておくというイメージだ。優しさにも波がある、めちゃくちゃ優しくできるときと全然できないとき。優しくできるときに、優しさを冷蔵しておく。めっちゃ簡単な例でいえば、相手の好物を買っておくなどである。やるべき家事が溜まっていて、イライラしながらも自分で家事をしなくてはならないとき。そんなときは、「元気でるよ!」と一言ってパートナーに好物を渡す。そして僕はイヤホンをして家事をする。

この優しさの作り置きは自分にもいい影響をあたえる。こんな状態でまだ優しくできる自分はすごい、天才だ!と思わせてくれる。

たとえ話が絶望的に分かりづらかったが、つまり言いたいことは、優しさを保存して後で使えるようにしておこうということである。こういった観点で、できることを増やしていくこともいいかもしれない。と考えたのであった。
なにかいいアイデアがあれば教えて下さい!

「支える」社会問題

うつ病が社会問題であれば、支える側の苦労も社会問題だ。解決に向けてどのように動いていけばいいのだろう。分からない、、、、、。僕と同じような問題に、また僕よりさらに苦しい問題に直面している人たちがいる。

僕ができることは言語化すること、そして僕なりの体験を共有すること。今できることはこれだけであろう、でもこれだけでもちゃんと続けていきたいと思う日曜であった。


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