幼児の芸術鑑賞は無駄なのか。Is it meaningless to see art as a toddler?

本日も英語のフレーズではなく、教育についての持論をお話ししたい。
時々「小さくて覚えてないし、連れてってもしょうがないでしょ」と遊園地や劇場などに子供を連れていくことを無駄だというような話を聞く。
断言する。無駄ではない。

私は幼いころから、子供OKのクラシックコンサートへ行ったり、演劇を見に行ったり、美術館へ行ったり、動物園へ行ったり、様々な「体験」をさせてもらった。
コンサートもずっと座っているわけではなかった。
正直記憶の中のコンサートは、椅子をテーブル代わりにして絵を描いていたことしか覚えていない。
何を聞いていたか、なんて覚えていない。
それでも、家族でお出かけは楽しかったし、気分良く絵を描けた記憶はある。
おかげで「クラシックコンサートなんてお金持ち!」「コンサートなんて緊張する!」という感想は持ったことがなかったので、驚かれたときには「え、皆行ってないの?」くらいの身近なものだった。(決してお金持ちな家庭ではなく、サラリーマン家庭である)
大人になってから、日本のコンサートチケットの値段を見て、高いものは確かに結構なお値段なので、驚かれた理由が分かった。

美術館もよく家族で行った。
西洋美術の宗教画は暗いものが多くて好きではなかった。
それでも時々、わあ、と子供の目を大きく見開く絵に出会う。
肖像画を見て、きれいな人だなあ、と思ったり。
なんかわかんないけどこれ好き、とか、なんかわかんないけどこれすごい、とかそんなふわっとした感想である。
きれいな色だなあ、と思ったり。
有名な絵だから、とか、作者にとらわれることなく、ただ純粋に絵を楽しめたと思う。
大人になると予備知識などが入っていて、本当にその絵の見た目を気に入っているのか定かではないときがあるので、やはり幼い時のその体験というのが大事なのだ。
余計な情報が遮断された状態というのが、幼いころなのではないだろうか。

多くのものに抵抗感がない、もしくは、緊張することがない、という点は確実に幼いころから体験してきたからだ。
それでも、それは個人の問題では、と思う方には、私の母の例え話を聞いてほしい。

幼稚園教諭の母の例えはわかりやすい。

双子の赤ちゃんがいます。
一人は、真っ白な何もない部屋で、声をかけずに過ごします。
もう一人は、色々なものがある部屋で、たくさんの人に声をかけてもらって過ごします。
二人は同じように育つでしょうか。

極端な表現ではあるが、確実に違うことは想像できるだろう。

個人的には、無駄だ、という人ほど、自分の幼少期の記憶がないように思う。
私自身は、結構幼いころの記憶が、断片的ではあるが、ある。
まだ言葉が話せないころ、抱っこしてもらって、いつもと違う高いところからの視界が好きだったことや、指をさして「あっちへ行け」と命令して大人を移動手段に使ったりしていたこととか。
子供は大人が思っているよりも、空気を読んだりするし、わかっていないと思って発せられた言葉を理解していることがある。
だから、大きくなってから全部をはっきりと覚えていなくても、どこかでなんとなく、記憶に残っているのだ。
それは「勉強は何故必要なのか。Why do we need to study?」でも言ったように、思考の組み立てのどこかで、その体験は無意識のうちに活用されている。
だから、幼いころの体験というのは決して無駄ではない。

それに、はっきり覚えてなくとも、写真を通して大事にされていた自分を見るのも、自己肯定感へ繋がる大事なことである。


It's never too late to experience art and it's never too early to experience art.

芸術を体験するのに遅すぎるということはないし、早すぎるということもない。


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