🌕飼い主さんとのお別れ　104

タイトル:『百万回お経をあびた猫』

#百万回お経をあびた猫 #ペットロスに悩む人たちへ #猫 #生死 #救い #仏教

仏さまの柔らなか掌の上に、問答無用とばかりに思いっきり爪を立てながらウチは怒りをぶちまけていた。

「どうして、あんな酷いババアのところに連れて行ったのニャ。仏さまは酷すぎるのニャ。もうこうしてやるのニャ」そう大きな声で鳴きながらウチは仏さまにあたりつづけた。

「おや、やっと元気が出てきたみたいだね、ミャアさん」そんなウチの乱暴狼藉にもかかわらず、どこ吹く風の様子の仏さまからは、ただただとても柔らかい声だけが返る。

でも、ウチはもう騙されにゃいぞ。そんな風に優しくしておきながら、気がつくとウチの心は常に張り裂けんばかりににゃってばかりじゃないか。仏さまは絶対にお人が悪いに違いない。

暴風雨がウチの心のなかで吹き荒れる。仏さまはそれを承知の上なのだろう。まるでウチの気をそらそうとするかのように尋ねてきた。

「ミャアさん、あのおババな、あそこで何をしていたと思うかい？」

そんなこと知るわけもないでしょ。この局面で何という突拍子もない問いかけにゃんだよ、と一向に収まらないイライラがさらに募ってしまう。だけれど、「はて、なぜだろう？」と考え出すとそいつが少しだけ収まってくる気もした。

なぜ、あのババアはお金を受け取ったり、それを持たない者からは着物を剥ぎ取ったりしていたのだろうか。だって、あれが夢でないなら——そうあれは夢じゃなかったんだ……とすると、もうお金や着物なんてとっくに何の必要もない世界なんじゃなかろうかあそこは。それなのに、なぜ……。

「それはな、ミャアさんよ」仏さまがいつものようにウチの先回りをし始めた。

だまっててニャ💢 つい猫が獲物を見つけたときに無意識に手が出てしまうようにそう叫んでしまった。瞬間、謎が解けた気がした。

「あれはバツだニャ。だって、あそこに並んでいた人たちはみんな、惜しそうにそれを差し出していたもの。出したくなかったに違いないはずニャ。ウチだったらバレないように隠すのニャ」

ウチは、鼻の穴を広げて、どや顔を作り仏さまを見上げた。

「惜しいけど、外れだよ、三毛ちゃん」と、仏さまはからかうようにそれを否定すると、「やれやれ、賢いミャアさんでもわからないことがあるんだね」そう楽しそうにお腹を抱えるのだった。

ウチはこういうとき、仏さまというお方がどうにもよくわからなくなる。ウチが飼い主さんから聞かされていた話とは印象が違いすぎるのニャ。もっと、こう、なんというか真面目なはずって、ウチは思い込んでいたわけで……。

ちょっとというか、かにゃり相当、いやめちゃくちゃ人間くさい感じがする。ウチの理想とはほど遠い仏さまに、それもあってウチはつい口をとがらせた。「じゃ、どうしてなんニャ？！よ」

「そうさな、あれはな、バツじゃなくて、善行を積む手助けをしているのだよ」先ほどとは一転して今度は至極まじめな表情を湛えながら仏さまが答えた。

——は？　仏さまってバカ？

ウチは反射的に思った。どうして、みんなが嫌がっているにもかかわらず無理矢理に持ち物を剥ぎ取る行為が、一体全体なにがどうやったら善行へと繋がるというのだ。

「いやあれはな、無理矢理じゃないぞ。よく思い出してごらん。みんな自分から六文銭を差し出してなかったかい？」

確かに言われてみればそんな気もする。するとますますわけが分からなくなる。

「渡し船に乗るためにお金がいることは誰もが知っていることさ。だから自分から六文銭を差し出しているんだよ。その差し出すという行為そのものが善行なのだよ。おババは善行を引き出す手助けをしているのさ。それが功徳を積むことにも繋がっているわけだね、ミャアさん」

ウチは、飼い主さんの言葉を咄嗟に思い出した。あれはウチがトカゲの野郎と遊んでいる時だった。両手の間でトカゲの野郎を楽しく転がしていると、飼い主さんが「放してあげなさい」ってウチをたしなめた。ウチは不思議な感じがしたことを覚えている。だって、獲物を仕留めたら誇らしいはずなのに、飼い主さんったら仕留める前に逃がせだなんて。それはハンターである猫にとっては恥辱以外のなにものでもにゃいのに。

でも、飼い主さんのお怒りをそれ以上買うのもなんかちょっと嫌だったので、ウチはそいつを「たまには逃がしてやるか」と半分やけ気味で放ってやった。すると、飼い主さんがとっても嬉しそうに「ミャアさん、あんたは偉いねえ。今日は功徳を積んだねえ」って……。確かそう言った。

——功徳？ って意味が分からなかったからよく覚えているにょだ。なんで獲物を逃がしたのに褒められるのかもわからなかったし。

その変な言葉を仏さまもいま口にした？！

功徳？って……

「それは自分の好きなものや大事にしているものをそっと手放すことさ」

仏さまが言うには、好きなものがあると普通はそれから離れられないでしょう？ でもそれをあえて自分から手放すことで、自分の中の垢を少しだけ落とすことができるようになる。すると身が軽くなるんだよ。身体が軽くなれば心も軽くなる。つまり、それだけ苦しみから離れることができる。それが功徳を積むっていうことらしいのニャ。

変なの。獲物を逃がして残念な気持ちになるのが普通なはずなのに、それが功徳を積むってことだにゃんて……。

だけど、ハッと思い当たる節があった。獲物を逃がしてやったあと、どこか心に気持ちのいい風が吹き抜けた感じが残ったからだ。飼い主さんに褒められたことも手伝っていただろう。けれど、それからは一人遊びをする時にも、たまに逃がしてやることがあって、その度になんかいいことをしたなって気になって、するとどこかからか自分の中に誇らしい感情が必ず湧いてきたのだ。逃がしてしまったというのに……だよ。それは本当に不思議な感覚だった。

「好きなものを何一つ手放せないから、みんな苦しいんだよ。だから、自分からそれを少しだけでも手放すとその分だけ楽になるのさ。ずっと持っていたいからこそ、逆に手放すことが大事なんだよ、ミャアさん。それが出来たから、ミャアさんはきっとその時に気持ちよくなったんだよ」仏さまはそう言ってウチを撫でた。

ウチには難しいことは分からない。だって猫だもの。でもひとつだけ分かったことがある。それは、たまには獲物を逃がすのも悪くないんだなってこと。ちょっとは本当に奴らに対しても優しい心持ちになれるんだもの。それは何というか口に表しづらいんだけど、なんかとてもスッキリ・さっぱりと心の中がなっていい感じなんだよニャ。

あのババアの行為も振り返れば、実は無理矢理なのかもしれないけれど——などとその疑問が未だ拭えないのだけれども、結果として確実に功徳を積ませていた——好きなものや欲しいものを手放せない心を少しでも楽にするきっかけを与えていたということになるにょかな……。

そう思えるとちょっと感動してしまう。でも、それはそうと、剥ぎ取った衣や六文銭はどうするんだろう。などとつい余計な下世話な考えまでがウチの頭をよぎる。

ねえ、仏さま。ウチが問うと、仏さまは「ではそいつを少しだけ見せてあげよう」と言った。風がウチの頬を撫でた次の瞬間、ウチの目の中にあのババアの姿が飛び込んできた。

なにやらとても大きくて赤くて恐ろしい形相をしていながら、たとえようもないほどの威厳を全身に湛えたその方の前でババアは跪いていた。頭に＜王＞と書かれた冠をかぶっているその人——ううん、そんな軽い呼び方はとてもできにゃいほどのオーラをのぞかせる＜その方＞の足下には、小さく背中を丸めたババアと、その傍らには六文銭やら衣やらが一緒に積んであった。

その風景はまるで飼い主さんと一緒に見ていたテレビに映る映像の一コマのようにも似て感じられ、どこか遠く離れた世界での出来事のようだった。＜王＞さまの近くではゴウゴウと火が燃え上がっていて、なにやら悲鳴を上げながら走り回っている様子の人間もいたりで、ちょっとおどろおどろしい風景なんだけど、離れて見ているせいだからか全然熱風も感じなければ、あれは絶対に人の叫び声だろうけれどそれほどの切迫感やリアル感もない。

お婆さんはなにやら頼み事をしているようだった。

＜大王さま、これでまた一人娑婆へ追い返してもよろしいでしょうか＞

大王さまが、よかろうというように大きく頷いた。そして口を開いた。

＜ババや、こないだ生き返らせたあの者は生まれ変わったように善行を積んでいるようだぞ。今回は当たりであったな。ババが救われる日も近いかな。わっはっは＞

地の底が震えるような声があたりに響き渡ると、大王さまを取り囲むように周囲に居る部下らしき鬼たちがひれ伏していた。

再び風を感じた時、ウチの目の前からは大王さまもあのババアも鬼達もみんな消え去っていた。思わず上を見上げると仏さまと目が合った。

「どうだい。わかったろう？ ミャアさん」

「『生き返らせる』ってお婆さんが言ってたけど……」ウチは心に一番引っかかったことだけを仏さまにぶつけてみた。

「そうさ、生き返らせるんだよ。貯めた宝物をババはそのために使うのさ」

＜ドクン＞ウチの心臓が大きく打った。

それでなニャアさん、と仏さまはその続きをしはじめたけれど、ウチの頭の中にはもう「生き返る」という言葉だけが一人歩きしだしていてその他のことは何も頭に入らなくなっていた。

それにもかかわらず、「人は心臓が止まるとな、まずあのババがいる河原に並ばされるのだよ」、などと仏さまはまるで教室でつまらない授業をする教師のような話をしだしたから参った。そんなことどうでもいいよ、この際……。それより、生き返りの話をして欲しいんだけど。

と思いつつも、ただ黙って聞くより仕方が無いので、頷いて神妙な顔を適当につくってみせる。聞けば、多くの場合その人らはそのまま川を渡されてついに向こう岸へ行ってしまうということらしい。だけど、本当にごくタマに、ババに川を渡してもらえない者がでるんだって。すると、その者はしばらく途方に暮れているのだけれど、ある時ふっと姿が消えるのだそうだ。

「死んだと思って動かなくなったその人を、布団の周りで取り巻いて泣いていた人たちの顔がな、突如として息を吹き返した姿を前にして、毎度とてつもなくびっくりした表情に変わるんだよ」と、仏さまが大笑いしながら、ちょっと冗談みたいだろうとウチに語った。冗談どころか、それこそ真に待ちに待っていた話だった。

ウチの心にポッと灯が宿った。

——だったらお婆ちゃんに頼みに行けばいいんだ。

だけどそんなウチの希望の灯をかき消すように仏さまは静かに言葉を紡いだ。

「残念ながら、あのババさんはミャアさんを生き返らせてはくれんだろう。あそこでババさんが選ぶことが出来るのは、自分が死んだという自覚がまだない者に限られるからな」

うそでしょう、と暖まりかけた心に絶望と憎しみが湧く。

——ウチは自分で悟ったんじゃないじゃない。仏さまから無理矢理教えられたんだよ。ウチはもう死んでしまったのだって。あの火葬場で煙になる風景を通して。そしてそれは夢だって思ったりもしていたのに、あえて繰り返し現実に引き戻されたりして……。

なのにどうして……って、仏さまのことが再び凄く憎たらしくなった。

「ミャアさんよ、あんたは今まさに功徳をまた積んだな。自分が望まないことを受け入れるという苦行を通してなあ」仏さまがかつてない優しさでウチを包み込んだ。

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13年ぶりの続編（右）が出たと知りさっそく購入
これ（左）読んだとき修論書いてる真っ最中だったから印象深かった pic.twitter.com/RAANrg0hST

— とかげ (@I2Our) May 29, 2020

続編であって続編でない感じで、大学運営の闇を感じて個人的には好きです
高学歴ワーキングプアの続編というか、著者の人生の続編なので😂

— とかげ (@I2Our) May 29, 2020

西日本新聞、朝刊、くらし8面、2020/05/30