プント 古代エジプトが交易した、海の彼方の地

 先日、プントの場所が明らかになったという記事が流れてきて、ちょっと期待して読みました。古代エジプトのヒヒのミイラをDNA解析して、現生の個体群のDNAと比較する、という研究。ヒヒはエジプトに居ないため、プントから輸入されたものであろう、という前提の元に、現生のヒヒでDNAの一致する個体群がいればそこがプントだ、という理屈です。
 その結果、プントは後のアクスム王国時代に重要な港湾都市だったアドゥリス(現在のエリトリアのズラ近郊)の周辺であろうという結論になったということ。元々プントの位置についてはスーダンからソマリアまでの紅海沿岸のどこかと言う説が強かったのでさほど意外ではないのですが、今回の研究でDNAを抽出できたミイラは一体だけとか、プントから輸出される前に原産地から移動しているのではないかとか、現生の個体群も古代から分布が変わっていることもあるのではないか、とか色々ツッコミたくなる記事でした。ただ研究者自身もより多くのDNAサンプルを採取して研究を進めていくつもりのようですので、続報に期待したいところです。

 プントの位置については、現地の政情が不安定すぎるので発掘ができないことから、プントから輸入されたであろう動物から探ろうとする試みは以前から行われていたようです。こちらのブログで紹介されているのは、ヒヒの遺骨のストロンチウム同位体比から育った場所を辿ろうという研究です。

 さて前置きが長くなりましたが、そもそもプントとは何か、ある程度以上古代エジプトに詳しくないと知らない単語かと思いますのでちょっとまとめてみます。

 プントは古代エジプトから紅海を通ってたどり着くことのできる地で、古代エジプトの歴代王朝は度々交易船団を送っています。その位置は現在まで特定されていませんが、輸入される産物からアラビア半島側ではなくアフリカ側だろうという意見が有力です。具体的にはヌビア(現在のスーダン)の海岸部から、アフリカの角と呼ばれる現在のエリトリア・ソマリアあたりまでのどこかと推測されています。現在、ソマリアの北部で独立を宣言している勢力(日本政府は未承認)がプントランドと称していますが、古代のプントがこの地を含んでいたかはわかっていません。
 古王国時代には既にエジプトとプントとの交易は始まっており、プント行船団のための舟を建造中に遊牧民の襲撃を受ける事件も起こっています。古王国時代にはシナイ半島から船団が出航していましたが、中王国時代には上エジプトのテーベからナイル川でコプトスという河港まで、そこからは陸路で紅海に面するサウウという港に出てから海路でプントに向かうルートや、ワディ・ハンママート(水の涸れた谷川)を通ってクセイルという港から出航するルートが利用されるようになり、新王国時代には更に南のネケブの頭という港(ローマ時代のベレニケ)から出航するようになっていました。
 プントから輸入されるのは金、プラチナ、没薬、香料、象牙、毛皮、黒檀、さらには生きた動物など。黒檀を指すエボニー、樹脂を指すガム、などの語は古代エジプト人が外来語として使ったヌビア語またはプントの言葉に起源を持つとのこと。清めに使う香料や、神官の纏う毛皮を産するプントは神聖な土地とも考えられていたようです。

 さて、ここで冒頭の記事と矛盾してしまうのですが、手持ちの本の中でプントについて比較的詳しく解説してあった「地図で読む世界の歴史 古代エジプト」(河出書房新社)では、プントの産物が陸路でももたらされていたこと、プントの首長たちの子弟が、クシュやイレム(ともにヌビアの地域)からの子弟とともにエジプトで養育されていることなどから、プントはヌビア内にあって、かつて想像されていたエリトリアやソマリア地域ほどにはエジプトから離れていなかったことが”一般に認められている”と書かれています。
 考えてみればプントからエジプトにやって来た物産も、プント周辺の産物とは限らず、アフリカの更に遠隔地からプントに集まって来たのかもしれません。
 プントがどこにあったのか、まだまだ結論の出る日は遠そうです。

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