フランシス・スコット・キィ アメリカ国歌の作詞者

 今回も別ブログからサルベージしてきた記事です。

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 引き続き「アメリカの小学生が学ぶ歴史教科書」から日本での知名度の低い人物。

 フランシス・スコット・キィはアメリカの国歌「星条旗」の作詞者。最初に知ったのはアイザック・アシモフのエッセイだった。マクヘンリー砦の攻防を巡るエピソードは、強く印象に残っている。

 19世紀の初め、ナポレオン率いるフランスとイギリスの戦いに独立間もないアメリカも巻き込まれていた。
 フランスと交易するアメリカに対し、イギリスは船を拿捕し、船員を拉致するなどの強硬措置をとった。イギリスに対する感情が悪化する一方で、イギリスとの対決を避けるため合衆国から離脱の動きを見せる州もあった。合衆国の各州がバラバラになればアメリカ全体の独立が危ういと考える連邦政府は、遂にアメリカより遥かに強大なイギリスへの宣戦布告に踏み切る。1812年戦争である。米英戦争や第二次独立戦争などと、日本では名称すら定まっていない戦争が、アメリカにとっては一致団結して乗り越えた最初の危機として重要な意味を持っている。

 戦争初期アメリカ軍はカナダへの侵攻を企て、手酷く跳ね返された。イギリスの反撃が本格化すると、建設されたばかりの新首都・ワシントンD.C.までイギリス軍が迫り、大統領官邸を含む官庁街は炎上した。
 そんななか弁護士のフランシス・スコット・キィは、イギリスの軍艦に捕らえられた友人の解放のため、イギリスの軍艦に乗り込んでいた。身代金だったのかなんだったのか交渉は纏まったものの、イギリス艦隊の攻撃が始まったためキィは戦闘が終るまでイギリス艦に留められることになった。
 イギリス艦隊の激烈な砲撃を受けているのはマクヘンリー要塞。ボルチモアを守るこの要塞が陥落すれば、いよいよアメリカは南北に分断され各個撃破されるという瀬戸際だった。
 敵の船の中で夜通し続く砲撃の音を聞きながら、キィは気が気ではなかった。要塞はこの砲撃に耐え抜くことが出来るだろうか。
 砲撃は明け方に止んだ。はたしてイギリス軍が攻撃を諦めたのだろうか、それともとうとう要塞が陥落してしまったのだろうか。キィは要塞の方を見る。視界を閉ざす霧がゆっくりと晴れて行く。そしてキィの目に写ったのは夜通し続いた砲撃に耐え、なお翻る星条旗だった。
 キィはその感動を詩にして、たまたま持っていた封筒に書き留めた。人々はこの詩を当時の流行歌にのせて歌い、この歌は遂にアメリカの国歌となった。

 最後に「星条旗よ永遠なれ」と紹介されることの多い、アメリカ国歌のタイトルについて、別の曲と混同しているのではないかということを書こうと思ったが、ほぼ同じ内容がWikipediaに書いてあったので、やめておく。

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 マクヘンリー要塞の戦いについてはアシモフのエッセイで知って、ドラマチックさに感動して、世界史の中でも大好きなエピソードになっていたので、この記事でも手前味噌ながら語り口がこなれています。
 これよりずっと前にも、ヤフー知恵袋で「アメリカ国歌はどんなことを歌っているのですか?」という質問に答えて、このエピソードを披露したこともあります。歌詞の和訳を答えた人とかもいたのですが、ベストアンサーと「感動した」という言葉をいただきまして、大いに気を良くしたものです。ただその時、質問者さんが「酔っぱらいの歌だと聞いていたのですが」とコメントしており、「それはメロディーの方です!」とモニター前で身もだえすることにもなりました。今はベストアンサーコメントに更に返信できるようですが、当時はそんな機能が無かったんですよね。

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。




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