世界史 その28 アマルナ宗教改革への序曲

 第17・18王朝では本拠地であるテーベの守護神であるアメン信仰が重視され、太陽神ラーと同一視されるようになる。太陽神アメンの神官団は勢力を増し、王権に関与するまでの権力を持つようになった。例としては王位継承順の高くなかったトトメス4世が神託によって王位についたことが挙げられる。
 一方、自ら盛り上げたナショナリズムによってヒクソスの「異民族支配」を打倒した第17・18王朝は、再度のアジア勢力の侵入を意識してか、積極的にパレスティナ、さらにシリアへと軍事的な進出を果たした。以後エジプト新王国はシリア・パレスティナの支配を巡り、ミタンニ、ヒッタイト、アッシリアとアジア側の大国と対峙することになる。その中でファラオは今までの太陽神の現生での姿という性格に加え、軍事的指導者としての性格を強く持つようになった。これにより次第に王の権威と、神殿の権威は分離していくことになる。
 王権に関与するまでに強勢化した神官団に対し、王権側は神官の長の人事権をもって神官団の権力をコントロールすることで対抗していた。アメンの大司祭は神殿領の経営という意味から、神殿領の行政に携わった経験が必要であり、同時に王族との婚姻を通じて王権側と姻戚関係にあることが求められた。
 このバランスが崩れたのがトトメス4世の時代。大司祭に就任したアメンエムハトは宮廷との結びつきを持たず神殿内部で出世した人物で、この大司祭就任には神殿側からの協力な働きかけがあったと推測できる。これに対しトトメス4世は大司祭が兼務することが当然とされていた神官長に行政官僚を就任させることで対抗した。

 続くアメンホテプ3世の時代には先代から続くアジア情勢の安定が経済的な余剰をもたらしたのか、大規模な神殿の新築や改築が数多く行われた。これらの神殿を始めとする大量の寄進を通じて、建築の責任者という形で軍事官僚だった人々が神殿に送り込まれた。これらの流れの結果、王権側は遂に宰相を大司祭に就けることに成功する。これにより大司祭と神官長の分離も解消され、廷臣出身のプタハメスが両者を兼務することとなった。
 しかし神殿側も巻き返しを見せ、次の大司祭は宮廷と繋がりのない人物が就き、これにより神官長には神殿と繋がりのない官僚がついた。

 高まっていく神殿との対立の中、アメンに対抗する太陽神アテンの信仰が進められ、新しい地名、宮殿や御座船の名前にアテンの名が採用されるようになる。
 またアメンホテプ3世が姉妹との結婚の慣例を破り、地方官僚の娘ティイを正妃にしたのも、従来の権威のあり方を革新する一環であったかもしれない。アメンホテプ3世とティイの間に生まれた、後のアメンホテプ4世/アクエンアテンがアメン神官団を決定的に排除するアマルナ革命を試みることになる。

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 アマルナ革命へと至る、第18王朝の王権と神官団の対立を纏めてみました。調べてみると、アクエンアテンが突然生まれた異質な王というわけではなかったのがわかります。
 参考にした本(今回は中央公論新社の「世界の歴史」にほぼ全面的に頼っております)で個人的に意外だったのが、漫画「アトンの娘」で影の薄い感じで描かれていたアメンホテプ3世が、王権の拡大を目指しファラオの専制君主化に成功した強力な王とされていたことで、フィクションと歴史は切り分けて考えるべきものだと、いつもながら思わされます。とは言っても真面目な歴史の本どうしを比較しても、全然イメージが違うのですけれどもね。
 親が経営していたお店で掲載紙のビッグコミックゴールドを置いていたので「アトンの娘」は若い頃に読んだのですが、アメンホテプ3世については歯痛で泣いていた印象しかないですよ。
 アテン信仰もアクエンアテンが突然始めたとか、超ローカルな神様を無理やり発掘してきたとかではなく、アメンホテプ3世の時代に既にアメン神への対抗馬としてクローズアップされていたのですね。

 

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