フェニキア人、喜望峰を越える。

 古代エジプト末期王朝、ネコ2世の時代。王はエジプト支配下にある海洋民族フェニキア人の船乗りに、紅海を発してアフリカ大陸の沿岸を行けるところまで南下するように命じました。彼らは足かけ3年の大航海を果たし、地中海側からエジプトに帰還しました。
 このエピソード自体はアイザック・アシモフの雑学本で知っていたので、高校生の頃、ヘロドトス『歴史』で同内容の記述が出てきた時には、原典に出会えたと感動したものです。

 残念ながらこのエピソードは、歴史学的には実際にあった事実なのかの確認ができないということになり、現在でも教科書ではヴァスコ・ダ・ガマ一行が最初に喜望峰を越えた船乗りとされています。ではこのエピソードには信憑性は全く無いのでしょうか。
 あってもおかしくない、というだけでは事実として認められないのが学問の世界。このエピソードについては史実であるとも、単なる伝承であるとも結論付けられないものだと思います。研究者がはっきり結論を下せない事柄について、あれこれ想像を巡らすのは素人の特権かも知れません。
 で、僕自身はヘロドトスを読んだ高校生の頃から、これは史実ではないかと考えています。理由はヘロドトスの記述の一節。ヘロドトスは「こんな話は信じないが」と前置きした上で、フェニキアの船乗りたちが右手に太陽を見ながら航海したと報告したことを伝えています。紅海を出て地中海に至る航路は、大雑把に言えば西に向かって進むことになります。北半球の常識で言えば当然太陽は左手になるのですが、赤道を越えて南半球を航海するのであれば右手に太陽が見えたはずです。このことを伝えたヘロドトス自身が信じられないような話としているのが、かえって信憑性を高めているように思えるのです。

 ネコ2世の時代から400年ほど後の時代にギリシャ人エラトステネスが地球の大きさを計算した時に、エジプトのシエネでは夏至の日に陽光がまっすぐ井戸の底まで差し込む、つまり太陽が真上に上ることを利用しています。ここから類推すれば、更に南の場所なら西を向いた時に太陽が右手に見えることが有り得ることは充分想像できるでしょう。シエネの町はアスワン付近ということですので、ネコ2世の時代よりもずっと前から古代エジプトの領域でもありますし、
 だからヘロドトス(ネコ2世の時代と、エラトステネスの時代の間の時代)が、太陽が右手に見えたエピソードを伝えていることは、フェニキア人が喜望峰を越えた決定的な証拠にはなり得ないのです。

 結局、このような伝聞は確実にあった、なかった、という事はできず、このような出来事が伝わっている。実際にあった可能性が高い、低い。というようにしか捕らえることができないのでしょう。その上で学問的ではないけれど、心証としては実際に有ったのではないかなぁと考えているのです。

 埋め込んだ画像は2500年前のフェニキア船。金属の枠が推定される本来のサイズなのでしょうか。 

 久しぶりにちゃんとした記事を上げることができました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。本業のサイトもご覧いただければ幸いです。


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