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ADHDいじり、その刃物
最近、ADHDやASDの認知が広まってきたことの功罪か、よく耳にする「お前、ADHDじゃん」「俺、ADHDかも」という笑いを含んだ会話。
物事を徹底的に調べ上げたい過集中気味の人間に対してすぐ、「ADHD出てるよ」とか、ものを頻繁に探している様子を見て「ADHDすぎる、俺もだけど」なんて言ったりする人がたくさんいる。
完全悪とまでは言えない、と思う。でも、それをネタのようにして使うのはどうなんだろう。
正しい理解、認知が広まれば、ADHDを持って苦労して生活している人の一部分だけでも理解することができるかもしれない。もし相手が辛そうにしていたら、楽に生活できる方法を一緒に模索してあげることができるかもしれない。
でも、「お前ADHDだ」と笑って使うその単語は、どうしても面白くない。
診断されて、どうしてもしんどくて、でもそれをネタのようにしか使えない人もいると思う。ただ、何となく始まった会話で「せっかちだね」の代わりに「ADHDだな」と言われて気持ちが良い人って、いるんだろうか。
自分は全くもって、良くない。
物を失くしやすいとか、徹底的な研究をしてしまうとか、じっとしていられないとか、ADHD諸症状に近い行動があったとしても、云われて嬉しい言葉ではない。偉人だってそうだった、とか、あの有名な人もそうだとか、だからなんだ。
個性として昇華したいのに、他人が診断してひとつの病気にされてしまう。それって、どんなに頑張ってもその人を見ていないということにならないか。良いことをしても、悪いことをしても、「あいつはADHDだから」と言われたら、あなただって嫌なはずだ。人を何かに当てはめてしまう事ほど、悲しいことはない。
流行しているだけだと思う。そのうち違う何かがADHDの座を奪って、また嫌な気持ちになる人が出てくるようになる。
言葉は季節のように循環する。そのサイクルに当てはまった病気の名称が、病気以外の人までも傷つけるような刃物になってしまう嫌な季節が、巡ってきている気がする。
色々な人から冗談交じりに言われるその単語に対する、自分のちょっとした反抗。
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