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忘れられた警句とシンギュラリティ/YoutubeLive配信vol.004|weekly

今週は、うでパスタが書く。

話が長くなってはいけないので初めにことわっておくと、このnoteは告知を含んでいる。キノコさんと僕とのYoutubeLive配信ビブリオトーク・ド・キノコの告知だ。だから本来なら今週はキノコさんがweeklyを書くターンだったのだが、代わってもらった。
この告知だけを読みたいというひとは、この下の制限エリアまで一気に読み飛ばしてもらっても構わない。配信は当マガジンの定期購読者限定、日時は2020年9月17日(木)20時からである。

毎月恒例となっているこのライブ配信は控えめに言っても好評だ。なぜならそもそも我々に興味のあるひとにしか公開していないから。こういう姑息な生き方が、幸せへの最短距離だとそろそろ理解しなければならない。実家の神棚の脇に吊されていた抹香臭い日めくりカレンダーは何週間もめくるのを忘れられることがあり(いったい何のために神棚に吊しているのか)、あるときそこにはこう書かれていた。

「気に入らないひとこそ、心を磨く石である。」

あるいはこのページが長くめくられることがなかったのは、そのときまさしく私の母が嫁姑闘争のただなかでゴラン高原の帰趨をめぐり激しく戦っていたからなのかもしれない。「気に入らないひと」を家庭に迎え、あるいは「気に入らないひと」の家庭に入ることを前提する大家族のありようは、そこへそれなりの構造化された地獄をもたらすシステムだと、私の脳裏には深く刻み込まれている。

しかしこの手の警句とは幸いなことに、人類社会がどこへ行こうにも逃げ場のない総田舎だった時代、生涯をただただ何ものかに耐え抜いて生きるしかなかった時代の遺物にすぎない。生き方が多様化したことを否定するのはもはや不可能だ。
その一方で、当時はとにかく畑に向かって鍬を振りおろしていれば一日が終わったかもしれないが、現代はどちらを見てもひと、ひと、ひとで人間関係そのものからは逃れる術がなく、気に入らない人間といちいち向き合っていたらそれこそ心は磨かれすぎて早晩なくなってしまうだろう。

「埃はたいてみろ、太鼓がなくなっちゃうから」
「火焔太鼓」

ちなみに、上で僕は「神棚の脇」に「抹香臭い」日めくりカレンダーなどと神仏の別をわきまえないような書き方をしたが、実家の神棚には実際に伊勢神宮の何かと天理教のそれと、そして浄土宗の仏が合祀されてさながら異種格闘戦の様相であり、私は毎晩「神棚」の水を下げ、柏手を四回打ち(天理教)、「南無阿弥陀仏」と唱えさせられていた。これに疲れ果てた母はもう長いこと「自分は無宗教で送ってくれ」と訴えており、私はいまやクリスチャンである。

橘玲が「『読まなくてもいい本』の読書案内」で主張しているとキノコさんから聞いた(私はこの本自体を読んでいない)が、有名には違いないがいまでは誤謬や無効性があきらかになった本というのがもちろん世の中には無数にあり、歴史家や批評家の仕事としては読まざるを得ないことがあっても、彼らによる「必読の書」「教養」などといった卑劣なポジショントークを真に受ける必要はなく、時間の限られた我々はまさに現代を生き抜くために必要なだけの浅薄な情報をかすめ取っていくべきだという一面が、これはたしかにある。

なおかぶせていけば実家の居間にはさらに、大きな額に収められた「福澤心訓」の書が掲げられており、ご存じの方も多いと思うがこれはかなり厄介なしろものだ。しかしたとえば日々ツイッターの餓鬼道で互いに石をぶつけあいながら無限に退化していく我々の姿を鏡に映せば、少なくとも福澤翁がこう言いたくなった気持ちまではいまでも十二分に分かると言わざるをえない。

一、世の中で一番楽しく立派な事は、一生涯を貫く仕事を持つという事です。
一、世の中で一番みじめな事は、人間として教養のない事です。
一、世の中で一番さびしい事は、する仕事のない事です。
一、世の中で一番みにくい事は、他人の生活をうらやむ事です。
一、世の中で一番尊い事は、人の為に奉仕して決して恩にきせない事です。
一、世の中で一番美しい事は、全ての物に愛情を持つ事です。
一、世の中で一番悲しい事は、うそをつく事です。

慶応出てツイッターやってる奴、これどれぐらい守れてるのだろうか。

それにつけても福澤諭吉が一万円札の肖像だった理由というのが僕にはよく分かっていない。
そもそも政府発行の不換紙幣(中央銀行ではないのか、という指摘については中央銀行システムについて考える機会にまた取り上げたい)などは国家の威信そのものによって価値が担保されてるのであって、そういう意味で政治指導者や国家元首が券面に顕れるのだと思うが、思想家とか文学者、あと実業家とかによって日本の「豊かさ」が成り立っているという、こうフワッとした国家観、そして国家による統治と経済、国民生活という概念が曖昧に扱われていることがこの紙幣の券面問題には表れていて、そこを曖昧にしてる奴はいったい誰やねんということも含めて「そういうとこやぞ」と強く感じる。
あと、いまアメリカで争われている大統領選でトランプが勝ったら、二期目の終わりまでに必ず「一〇〇ドル札をドナルド・トランプに」という話がトランプ本人から一度は出ると、これははっきり予言しておきたい。

とはいえ「生存戦略として本を読む」(時間がないので)からといって読む本が限られてくるというわけではもちろんなく、佐藤優などは「デキるビジネスパーソン(おそらく自分のこと)は小説からも生存戦略を学んでいる」とビジネス誌の連載で書いていた。
正直これには少し笑ってしまったのだが、それは私自身が小説から生存戦略を学び、そして挫折を繰り返してきたからに他ならない。
佐藤の含むところはもちろん、小説から脈絡なく流れ込む知識が体系的な学習を補強し押し広げるということでもあろうし、登場人物の出くわす境遇に置き換えて自分の心の動きを知るロールプレイだということでもあろうが、「事実は小説よりも奇なり」という広く支持されるフレーズがこのメソッドの致命的な欠陥をあきらかにしているし、古来読まれる小説の作者は多くが社会不適合者であったり人格破綻者であるということからも小説から生存戦略など学べようはずもないことははっきりしている。それは水槽の魚が書いた本を読んで人間を学ぼうというようなものだ。しかしそれにもかかわらず、「そうか、俺はいますべてのことが分かった」と誤解する瞬間の輝きは人生の醍醐味でもあり、ドラッグとならび小説の価値は人類にとり永遠である。

睡眠薬、シャブ、アヘン、幻覚サボテン、咳止めシロップ、毒キノコ、有機溶剤、ハシシュ、大麻やLSDもあれば、アルコールもある。ドラッグのオンパレードである。著者自らが体験したリーガルなものもあるし、話に聞いただけのイリーガル・ドラッグもある。古今の作家の生活や名著などもひきながら、話は「人はなぜ快楽を求めるのだろうか」へと進む。煙の向こうにひとの本質が見え隠れするような傑作ドラッグ・エッセイ。
「アマニタ・パンセリナ」- Amazon.co.jp

「昔は有効だったかもしれないけどいまはそれが疑われているものをいちいち全部読んでたら時間なくない?」という話をしてしまったので一応つけくわえておくと、人類史上最大のベストセラーと呼ばれる本、その名も “the Book” つまりキリスト教の聖書だが、これもルポとして呼んでしまうと嘘松大博覧会であっていまとなっては価値を持たない。しかしもう少しreflectiveな読書体験として学んでいただければ、その価値はまた違ったものになるだろうということは立場上一言いわせていただきたい。この聖書という本はまた、人類史上もっとも多くの注釈が付されている本だと言ってもいいと思うので、お好きな注釈者を選んで救いとされるのがよろしいでしょう。

「おまえの文書、noteよりブログの方が読まれると思うぞ」ということはかねてより結構各方面からお寄せいただいており、ごもっともだと思うところもあって迷いが生じているうちに、今日は書こうと思っていたことが書けないまま、告知の時間となった。

冒頭にもお知らせした通り、2020年9月17日(木)20:00からYouTubeLiveビブリオトーク・ド・キノコを九段下図書室より配信する。配信URLは以下の定期購読者限定部分でお知らせしている。

第四回目(テクニカルには五回目)になる今回のテーマは「AI Ethics」(AI開発の倫理)。ツイッターを見ている方はよくよくご存じだろうが、僕とはもう二〇年近くになる文字どおりの腐れ縁で昨年シリコンバレーのサンノゼから帰国した人物がゲストとして登場し、現地の空気を紹介してくれるはずだ。
彼はGoogleの本社があることで有名なマウンテンビューの伝説的コワーキングスペース、その名も「Hacker Dojo(ハッカー道場)」でインド人を相手に牢名主のようなことを一〇年近くやったあと、昨年の六月ついに日本へ帰国して現在も自分の手で丹精込めて人工知能を育てている。

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