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又吉直樹『火花』を読んで

はたして、自分にも神谷のような敬愛する師匠がいるのだろうか。
案外思いつかない。
高校時代の教員、両親、大学で出会った教授、部活で出会った友人、会社の同僚。
どの1人をとっても、その人にのめり込んでしまうことはない。
だから、神谷を見つけた徳永も、愛される神谷も、これほどの幸せはないだろうと思う。

師匠と呼べる人間に出会う


主人公徳永は、敬愛する神谷をこう評する。

神谷さんは、僕の面白いを体現してくれる人だった。神谷さんに憧れ、神谷さんの教えを守り、僕は神谷さんのように若い女性から支持されずとも、男が見て面白いと熱狂するような、そんな芸人になりたかった。言い訳をせず真正面から面白いことを追求する芸人になりたかった。不純物の混ざっていない、純正の面白いでありたかった。

『火花』133頁

芸人として売れようとするだけなら、もっとマシな先輩芸人がいただろう。
売れるために身につけておくスキルを教えたり、ネタを添削したりする先輩である。
しかし、徳永が選んだ神谷はとても成功したとは言えない芸人だ。

だが、徳永にとっては、神谷こそが師匠たるに相応しい人間だった。
一芸人として、自分の面白いと思うことをとにかくやる。
純粋に面白いことだけをする。
徳永が心酔するのも分からなくもない。


師匠と呼べる人間?

ただ、読者としては疑念を感じざるを得ない。
いくらお笑いへの姿勢が素晴らしいとしても、どうしてあれほどまでに惚れ込むのかという疑問である。

雪だるま式に借金が膨らみ、相方の大林を捨てて失踪したこと。
トランス女性への配慮もなく、豊胸のためシリコンを入れたこと。
後輩である徳永に嫉妬し、自分も同じ銀髪にしたこと。
読者はもちろん、徳永もこれらには批判的だった。
特に豊胸や銀髪に関しては、徳永も決して許さなかった。

だが、それにもかからわず、徳永は神谷への尊敬の念を失うことがなかった。
この小説最大の謎と言ってもいい。
なぜ神谷は徳永の師匠でありつづけたのか。

この問いを考えぬいたが、結論は出なかった。
自分が徳永の立場だったら、神谷からの離脱を選択するだろうから。
読者もきっと同じだろうと思う。
しかし、読者や私と違い、徳永は神谷を慕い続けた。
その理由は誰にも分からない。わかったとしても、共感するようなものではないだろう。


師匠と呼べる人間は、弟子になりうる人のみを惹きつける、特殊な引力を持っているのだろうか。





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