見出し画像

喜ばしくない状況でも感じられる喜び(3)

=喜びの源とのつながり=


これまで、大局的・長期的な視点に立って物事を見ることの大切さを書いてきました。

それは、クリスチャンでなくてもある程度当てはめられることでしたが、最後に、クリスチャンにとって、究極の大局的・長期的な視点とは何かを見ていきたいと思います。


喜びの源

状況と関係なく喜びを持つ第一の方法は、喜びの源である神と直接つながっていることです。

神はすでに私たちの人生の中におられますが、私たちの方からも意識的に神に近寄らなくてはいけません。

わたしは常に主をわたしの前に置く。主がわたしの右にいますゆえ、わたしは動かされることはない。このゆえに、わたしの心は楽しみ、わたしの魂は喜ぶ。わたしの身もまた安らかである。・・あなた[神]の前には満ちあふれる喜びがあり、あなたの右には、とこしえにもろもろの楽しみがある。(詩篇16:8-9,11)

使徒パウロは、私たちが聖霊に満たされている時に結ばれる「御霊の実」のリストに、第一に愛、第二に喜びを挙げています。

しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。(ガラテヤ5:22-23)

愛情深い人間でいることと同様、つらい状況で喜びを感じることも、自分の力だけでは難しいものであり、喜びの源である神とのつながりが大切です。

そして、その神が私たちの通常の視野を超えたところまで世話してくださっていると知ることで、さらに喜びが深まります。


目には見えない現実

パート1と2では、否定的な現実だけではなく、肯定的な現実にも目を向けるべきことを説明しましたが、さらに、肉体の目で見えるものだけが現実ではなく、目に見えない現実があることにも気づく必要があります。

旧約聖書の預言者エリシャの召使は、敵国の大軍が押し寄せてきたという現実に恐れおののいた時、この貴重な教訓を学びました。

エリシャが召使のために祈ると、彼の霊の目が開かれたので、おびただしい数の天使がそこにいて、自分たちを守っていることに気づいたのです。(列王紀下6:15-17

肉体の目には見えない所で、神がちゃんと自分たちの世話をしておられることを知り、召使はどれだけ喜んだことでしょう。

この後、戦争が行われることさえなく、敵軍は平和的に引き返していきました。


究極の長期的視点

現在だけではなく、過去も将来も含めて、人生全体を長期的な視点で捉えることが大切ですが、さらに、地上の人生が終わったその先にまで目をやらないかぎり、本当の意味での長期的な視点とは言えません。

イエスは、弟子たちに悪霊を追い出し、病気を癒やす権威を与えて、何度か伝道旅行に送られましたが、喜んで返ってきた弟子たちに、こう言われたことがあります。

霊があなたがたに服従することを喜ぶな。むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい。(ルカ10:20)

私たちに与えられた力が発揮されたり、祈りが叶えられたりする時、喜びを感じるのは自然ですが、何よりも喜ぶべきなのは、私たちが永遠に天の国の一員となったことです。

この地上での一時的な喜び、あるいは苦しみでさえ、天における永遠の喜びや報いとは比べ物になりません。

そのことを心から理解した時、苦しみの中にあっても、喜んでいることができます。

わたし[イエス]のために人々があなたがたをののしり、また迫害し、あなたがたに対し偽って様々の悪口を言う時には、あなたがたは、さいわいである。喜び、よろこべ、天においてあなたがたの受ける報いは大きい。(マタイ5:11-12)


結びの祈り

神様、私たちが喜ばしくない状況にある時、肉体の目には見えないところにまで視野を広げて、あなたが常に私たちの「味方」また「いと近き助け」であることを喜び(ローマ8:31詩篇46:1)、万事が共に働いて最終的に益をもたらすことに感謝できますように。(ローマ8:28

また、地上の人生の先にまで視野を広げ、私たちの名前が記されている天で、あなたと共に永遠に生きるのだという喜びを実感することによって、「今のこの時の苦しみ」(ローマ8:18)が耐えやすいものとなりますように。

そして、何よりも、喜ばしくない状況にあって、私たちに喜びと平安と希望とを与えようとしておられるあなたに、御言葉や祈りによって、つながっていることができますように。

どうか、望みの神が、信仰から来るあらゆる喜びと平安とを、あなたがたに満たし、聖霊の力によって、あなたがたを、望みにあふれさせて下さるように。(ローマ15:13)


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?