紫陽花と御言葉
6月に入り、紫陽花のきれいな季節となって、その美しさが目を楽しませてくれるようになりました。
イエスが空の鳥や野の花を見なさいと言われたように(マタイ6:26-30)、私たちがそうする時、花や自然は大切なことを私たちに教えてくれるようです。
何年か前に、紫陽花を見ながら、私たちの人生における神の言葉の重要性について考えさせられたことがあります。
移ろいやすい人の心
紫陽花は花の色がよく変わることから、七変化とも呼ばれます。
それを人の心に当てはめて詠んだ、こんな俳句があります。
この俳句を知った時、イエスが十字架にかけられる前夜、「わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」と主張したペテロが、翌朝にイエスを否定したことを思い出しました。(ルカ22:33-34、54-62)
ペテロに限らず、私たち人間の心や感情や決意は非常に移ろいやすく、どんなに素晴らしく誠実な言葉も、その通りに実行できないことがあります。
私たちの言葉や心はそんなにも変わりやすいけれど、神の言葉は変わることがなく、神の約束が果たされないことはないと知れるのは、なんと心休まることでしょう。
心に宿すもの
紫陽花に含まれるアントシアニンという色素は、土壌によって色を変えます。
土壌が中性かアルカリ性だと花色は赤なのですが、日本に多い酸性の土壌だと、アルミニウムが溶けて紫陽花に吸収されるため、アントシアニンがそれに反応して、花を青くします。
フラミンゴも、食べている餌から色素を摂取することでピンクになっているけれど、本来は白い鳥だということを知っていたでしょうか。
食べるものや吸収するもので色が変わるのは、私たちの心も同じようです。
何を吸収・摂取し、心の内に蓄えるかによって、態度や表情、さらには性質までも影響を受けます。
御言葉を心に吸収して蓄え、私たちの内に働いてもらうことによって、また、イエスに私たちの内に宿っていただくことによって、もっとイエスの美しい色に染めていただけたらと思います。
流れのほとりに植えられた木
雨上がりの朝、雫に朝日を浴びて輝く紫陽花を詠んだ、こんな俳句もあります。
紫陽花の学名ハイドランジアはギリシャ語の「水の器」から来ており、その名の通り、水をとても好む植物です。
そのせいか、雨がよく似合い、たっぷり雨に濡れた姿は色鮮やかで、いっそう美しく見えます。
雨のない日が続くと元気がなくなるようですが、それでも、川や池のほとりに植えられた紫陽花には、常に強い生命力が感じられます。
私たちが、いつも神の流れのほとりにとどまって、御言葉の水によって元気づけられ、暗い夜の後にも、神の朝日を浴びて輝くことができますように。
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