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小さな水滴、小さな親切

小さな水滴、
小さな砂粒、
それが大海となり、
麗しい陸地となる。

小さな親切、
小さな愛の言葉、
それが地上を楽園にし、
天国のようにする。

(ジュリア・カーニー)

これは『小さなもの』という詩の抜粋ですが、読んでいて、ふと、何年も前のある寒い冬の日の出来事を思い出しました。

電車に乗っていた時、神の導きを感じて目的地の一つ前の駅で降りて歩いたところ、次の駅との中間あたりで、ダンボールの上で寒そうにたたずむホームレスの人の前を通り過ぎました。

しばらく行って、赤信号で立ち止まると、心の中で神の小さな声が聞こえたのですが、私は先を急ぎたいという気持ちから、それにちょっと反抗してしまいました。

神「あの人のために、何か温かい飲み物を買いなさい。」

私「でも、神さま、もう通り過ぎたので、引き返すのもちょっと・・。」

神「ほんの数十メートルじゃないか。」

私「でも、近くに飲み物を買える場所がなさそうですし・・。」

神「後ろを見てごらん。」

振り向くと、目の前にコンビニが。これはもう、するしかないようです。

そこで、温かいお茶を買って持っていき、少しおしゃべりをして、手元にあった福音トラクトも手渡すと、喜んでもらえました。

その時、神が私を一つ前の駅で降りさせたのは、この人のためだったのだと悟りました。

私がしたのは、ほんの小さなことですが、そういった小さなことを見過ごさないことが大切なのだと学んだ一日です。

私たちのすることは、大海のたった一滴の水にすぎないかもしれません。でも、その一滴の水が集まって大海となるのです。

(マザー・テレサ)

小さな水滴や砂粒のような親切が集まって、大きな海や美しい土地となり、私たちに天国を見させてくれます。

時には、たった一滴の親切であっても、受け取った人にとっては、それがまるで大海のように感じられることもあります。

もう何年も前、私がなにかのことでものすごく落胆していた時、お隣り(クリスチャン一家)の小学生の娘さんが急にギターをもって現れ、「おじさん、歌を歌ってあげる」と言ってきたことがあります。(後にも先にも、この時だけです。)

普段は結構やんちゃなその子が、その日はまるで天使のように見え、特に上手なわけではないのですが、温かい歌声で私の疲れた心を包んでくれました。

私にとって、その日その時、その空間がまさに地上の天国となったのです。

その子は私が落胆していることを知り得なかったけれど、神はご存知であり、その子を私のもとに送られたのでしょう。

神はとても愛情深く親切な方であり、多くの場合、その愛を人々に示すために、私たち人間をお互いのもとに遣わされます。

神が私たちを通して誰かを愛そうとしておられるのに、「急いでいるから」「面倒だ」「恥ずかしい」「そこまでしなくてもいいだろう」などと考えていては、神が与えてくださった大切な機会を逃してしまいます。

私たちは皆、それぞれ自分の戦いを戦っていますが、誰かからの小さな親切の言葉や行為一つで、その戦いが少し楽になり、少し生きやすくなったという経験はありませんか。

私たちが神の愛の器となって、互いの人生を少し生きやすくし、小さな天国をもたらす助けとなれますように。


愛は寛容であり、愛は親切です。

(1コリント13:4 新改訳2017)

あなたの手に善をなす力があるならば、これをなすべき人になすことをさし控えてはならない。

(箴言3:27)

あなたがたによく言っておく。わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである。

(イエス・キリスト、マタイ25:40)

私がこの世界で生きるのは一度だけ。だから、私にできる善行や親切があれば、それを先延ばしにしたり、やりそこねたりせず、今しよう。これから再びこの道を通ることはないのだから。

(スティーブン・グレレット)



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