赦しのちから
映画『赦しのちから』
2019年に公開された『赦しのちから』という映画を見たことはあるでしょうか。
原題は『Overcomer』(困難や悪癖などを克服して勝利する者)ですが、監督の前作『祈りのちから』にならって、『赦しのちから』となったようです。
登場人物は基本的に善人ではあるものの、自分を励まそうとする家族に怒りをぶつける人、盗み癖がある人、薬物に依存して妻子を捨てた人、嘘をつく人・・と、決して完璧な人たちではありません。
しかし、赦すこと(そして赦されること)によって、困難や弱さを克服し、前に進んで行く姿が描かれています。
赦すきっかけやその方法はさまざまです。
相手のほうが悪いように見えても、こちらから先に謝ることで、お互いに赦し合えた人。
憎んでいる相手を赦す力が与えられるよう、神に祈り求めた人。
そして、自分は神に赦され愛されている、神の子どもであると悟ることによって、赦す力が与えられた人。
相手を赦すのが難しいと感じる時には、「赦すべきだ」という考えからいったん離れて、自分がどれだけ神から愛された存在であるかに意識を向けてみるといいのかもしれません。
また、聖書が赦しを勧めているのは、それが私たちの益となるからであり、私たちを過去から解き放ち、未来へと前進させてくれるからだと覚えておくといいでしょう。
日本語の題名のように、赦しのちからについて考えさせられる映画ですので、機会があれば、ぜひ見ていただければと思います。
『赦しのちから』予告編
カニ看板破壊事件
赦しのちからと言えば、2021年に起きたカニ看板破壊事件を思い出します。
大阪道頓堀のカニ料理専門店の看板が、深夜、泥酔してはしゃぐ男二人によって破壊された事件で、その映像は全国放送で何度も流されました。
店主の武田さんは、コロナ禍で飲食業界が苦しい中で起きたこの事件に大変ショックを受け、「けしからん、赦せない」というのが最初の反応でしたが、二人の青年が謝罪に来た時、考えが変わりました。
コロナ禍の影響で、それまで働いていた飲食店をクビになり、むしゃくしゃして破壊行為をしてしまったと聞いて、この二人もコロナの被害者かもしれないと感じたのです。
さらに、自分が何年か前に不仲の妻に刃物で危害を加えようとしたことを思い出しました。
その時は友人が武田さんを必死に止め、「必ず神様の光が見える、信じよう」と言って、教会に連れて行ってくれました。そこで実際に光を感じた武田さんは、しばらくして洗礼を受けています。
この若者たちに自分の姿を重ねた武田さんは、彼らを赦すことにし、友人がしてくれたように、「必ず光が見えるから」と言って二人を教会に誘いました。
その後も、二人は別の仕事をするかたわら、武田さんの店の人手不足を埋めようとして、アルバイトを申し出たりと、交流が続いています。
もし、武田さんが二人の境遇に同情して赦すことをせず、ただの犯罪者として扱っていたら、どうなっていたことでしょう。
この若者たちは神の愛と赦しを知ることがなく、罪悪感を抱えながら生き続けたことでしょうし、その後の武田さんとの温かい交流も生まれなかったことでしょう。
そして、武田さんにとっても、この二人を赦さずにいたなら、心の傷やネガティブな感情を抱えて生き続けることになったでしょう。
過去の出来事に縛られ、人を恨みながら生きるというのは、楽しいことではありません。まるで重い足かせをはめて人生を走っているようなものです。
赦しには、心を癒やし、私たちを過去の足かせから自由にして、未来へと前進させる力があります。
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この事件とその後の交流について、詳しくはこちらの記事をお読みください。
『姦淫の女を赦したキリストに倣って 「大阪かに源」社長 武田 源さん』(クリスチャン新聞)
『カニオブジェ破壊事件から8カ月 「加害者」若者と「被害者」社長の交流続く』(関西テレビ)
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