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心配事がある時に思い出したい10の聖句

「心配」という言葉は中国語にはなく、「心配り」を音読して作られた日本独自の言葉だそうです。

「心を配る」=「心にかける」というのが本来の意味ですが、現在では主に「心にかけて思い煩う」という意味で使われるようになりました。

この心配は、聖書では、不安、思い煩い、悩み、憂い、重荷といった言葉でも表現されています。

今回は、そんな心配事で苦しくなった時に思い出していただきたい聖書の言葉を紹介します。


あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。

(マタイ6:34)

明日(将来)のことを思い煩うと、今日という日を楽しめなくなります。

明日の力を前借りできないのに、明日の心配だけを前借りして、今日の力をそれに費やしているようなものです。

今日の力は、今日の苦労のために使いましょう。

そうすることで、明日の道が開けます。


あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。

(マタイ6:27)

多くの場合、自分にできることがあれば、心配する必要はなく、ただそれを実行するだけです。

そして、自分の力でどうにもならないようなことについては、いくら心配しても、何の役にも立ちません。


心に憂いがあればその人をかがませる、しかし親切な言葉はその人を喜ばせる。

(箴言12:25)

心配で落ち込んでいる時には、信仰の兄弟姉妹や信頼できる友人からの励ましが力になります。

自分一人で抱え込む必要はありません。


神はわれらの避け所また力である。悩める時のいと近き助けである。

(詩篇46:1)

神もまた私たちのすぐ近くにいて、祈りの時間や御言葉などを通して、私たちを助け、力づけたいと望んでおられます。


これらのことをあなたがたに話したのは、わたしにあって平安を得るためである。あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている。

(ヨハネ16:33)

人生を航海だとしたら、この世は海で、私たちは船と言えるでしょう。

航海は常に順風満帆ということはなく、嵐に遭う時もあれば、危険な海域を通過する時もあります。

そんな時には、私たちの熟達した船長である主を見つめてください。

主はすべての海をすでに征服しているので、どんなことにも対処することができます。

私たちが周りの危険でも自分でもなく、主に目を留めているなら、心に平安が訪れます。


静まって、わたしこそ神であることを知れ。

(詩篇46:10)

あがいて、もがいて、自分でなんとかしようとしても、私たちは神ではなく、限界があります。

心を静め、思い煩いという重荷を主にゆだねましょう。


神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい。

(1ペテロ5:7)

かえりみるとは、心にかける、つまり本来の意味で「心配」してくださっているということです。


あなたの重荷を主にゆだねよ。主があなたを支えてくださる。主は決して正しい者が揺るがされるようにはなさらない。

(詩篇55:22 新改訳2017)

祈って、心配事を神に伝えることで、重荷を下ろすことができます。


すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。 わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。 わたしのくびきは負いやすく、わたしの荷は軽いからである。

(マタイ11:28-30)

くびきとは横木でできた道具で、牛などに車やすきを引かせる際、2頭の首を固定させるために使われました。

もし、その心配事について私たちにできることがあり、私たちの負うべき重荷があったとしても、主は私たちとくびきを共にし、一緒にそれを運んでくださいます。

一人で負うよりも、ずっと軽くなることでしょう。(なにしろ、主の力は無限ですから)


何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝をもって祈と願いとをささげ、あなたがたの求めるところを神に申し上げるがよい。そうすれば、人知ではとうてい測り知ることのできない神の平安が、あなたがたの心と思いとを、キリスト・イエスにあって守るであろう。

(ピリピ4:6-7)

心配事について一つ良い点は、それが私たちを神のもとに駆り立てることです。

いつまでも心配し続けないで、祈って、神に心を打ち明けましょう。

神が私たちの悩みや不安を心にかけ、「心配」してくださっているのですから。

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