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わたしの夢は苦い

美しい夢をついぞ見たことがない。

ここでの夢は、夜眠っている時に見る夢のこと。将来的な夢や希望はいちおう持ち合わせている。

夢を見るのは恐怖と同義語だ。子供の頃から今に至るまで、夢といえば悪夢。美味しいものを食べているとか、素敵な場所に旅をしているとか、可愛いペットを抱いているとか、心温まる夢の記憶はない。

悪い夢は人に話してしまえば本当にならない。などと言い伝えがあるけれど、わたしの悪夢に付き合わせたらあまりに頻繁で申し訳ないことになる。それに実在の人との恐怖のストーリーは話しにくい。

悪夢は常にリアルとリンクしていて、登場人物の9割は実際の家族友人知人。細部に至るまで設定があり、理不尽なストーリーで、起きてからもしっかり覚えている。そして、フルカラー。

実家のあらゆる窓やドアから蛇が噴き出してくる夢はもう30年も経つのに一連のストーリーまで覚えている。妊娠していないのに胎児がいる夢を見て胎動が激しくて苦しくて飛び起きたこともある。その時は起きた後も自分が妊娠していないと理解するのにかなりの時間がかかった。時には叫びながら自分の声で目が覚めびっしょりと汗をかいていることもある。刃物で襲われ逃げ隠れても駄目で体に食い込んだ刃先を見ながら、ああ死ぬんだなと思い目が醒め、起きてから傷がないか確認してしまうこともある。

それでも。

メンタルクリニックに通い、悪夢の話をまともに取りあってくれるドクターに話をし、対応する薬を処方してもらい、見る回数は激減した。

ドクターは悪夢を見ているかどうかを診断の要件のひとつにしているようで時々経過を聞かれるし、わたしは見る回数が増えたら報告する。薬の増減でコントロールをする。

「夢を見ない薬」というものもあるのだ。完全ではないがかなり回数は減るし、夢の内容も比較的穏やかになる。便利なものが世の中にはある。

ただ。

メンタルの不調に比べたらごく最近のことだけれど、不覚にも糖尿病という病を得てしまった。そして主治医のおかげで分かったことには、糖尿病のキッカケになったのは「夢を見ない薬」だった。

もちろん服薬はやめている。どうなることかと心配もあったが、退院後数ヶ月は夢を見る回数はとても少なく熟睡できた。意識不明の3日間で何かが体から抜けたみたいに。

しかしまあ、長年の習慣がそうそう簡単にわたしを手放してくれる訳はなく、次第に夢を見るようになった。今のところ絶叫するほどではないが、翌朝にどっと疲れるような夢に囚われる日もある。

そして例の薬にはもう頼れない。代わりの薬もあるから、と言われているけれど、まだ我慢できそうだから処方してもらっていない。血糖値を下げる薬は飲み続けるわけだから、肝臓のことを考えれば薬の種類は少ない方がいい。

糖尿病の発病以降、甘い飲み物は一切禁止になったのだが、夢もまた同じなのかなと考えている。もともと苦い味の夢が多いのだから、コーヒーに砂糖が入れられなくなったのと同期したようなものだ。

運動療法と食事療法は今のところ順調だ。特に運動は人生で初めて前向きに取り組んでいる。この疲れが苦い夢を和らげてくれることを少しだけ期待している。


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